吉高由里子が大河で挑む「紫式部」時代の性と暴力(2)紫式部が軽蔑した和泉式部の奔放な性

 紫式部が「源氏物語」を書いていることは、宮中でも評判になって大人気になり、それを聞きつけた藤原道長は、娘の彰子の家庭教師に登用する。

「『紫式部日記』には、ある夜に戸を叩く音がしたが怖くて戸を開けず、翌朝になって見ると『夜通し戸を叩いたのに戸は開かず泣く泣く帰ることにした』という道長の歌が贈られてきたとあります。だから紫式部は大スポンサーの道長を女としては袖(そで)にしたというわけです。ただ、それで紫式部と道長が不貞関係だったという解釈は行き過ぎで、上級貴族が女房を口説くことはよくありますし、この逸話が事実なら、道長の紫式部に対するちょっとした好奇心だったのかもしれません。小説や映画などで2人が恋仲だと描かれることはありますが、史実ではないと思います」

 と河合氏はあくまで否定的だが、末國氏も同意見だ。

「紫式部は、その生まれ年も死んだ歳もわかっていないし、『源氏物語』の全てを紫式部が書いたのかも諸説ある。紫式部が、道長の娘で一条天皇の中宮の彰子に仕えたのは事実ですが、彰子に仕えた文才のあった女たちが分担または集団で創作したという説もあるくらいです。道長の愛人説などは、戦前までは言われていましたが、戦後はあまり唱える研究者はいないと思います。ただ、道長が光源氏のモデルの1人だということは古くから言われていますね」

 一方、現代語訳を完成させた瀬戸内寂聴は「寂聴源氏塾」(集英社)の中で、「作家の日記というのはときに嘘があるということを私は知っている」ので、道長のような男が1度断られたからといって簡単に諦めることはない、2日目か3日目には式部は道長を部屋に入れただろうと、作家らしい解釈を述べている。

 平安時代の恋愛作法について、

「中流から下流の貴族たちの結婚や性に対する考え方は、一夫多妻を許容し、妻や夫がいようが鷹揚だった。〝色好み〟はまったくネガティブなイメージではなかったのです」

 と末國氏。

 貴族の間の恋愛の始まりは、あそこに美人がいるという噂を聞いたら、事前に歌を贈って女性が返歌をするという手順を踏んで家を訪ねるというのが普通だった。したがって歌の才能や文化的教養がなければ恋愛もできないという社会。平安時代のプレイボーイとして有名な在原業平などは、大変な歌の名手で、絶世の美女との誉れ高い小野小町との恋をはじめ、物語通りなら3733人もの女性と関係を結んだことになるのだが、果たして‥‥。

「業平は、『伊勢物語』に出てくる伊勢神宮の斎宮(さいぐう)に手を出したスキャンダルが有名です。天皇に代わって伊勢神宮に仕えるのが斎宮で、当然、生娘でなければならない人と密通をしてしまった。ただ、これもまったくあり得ない話なので、たぶん『伊勢物語』の創作だと思います」(末國氏)

 高木氏の見解はさらに一歩踏み込んで、

「『伊勢物語』の昔男(在原業平とされる)のエピソードが、ストーリー展開やキャラクター設定において『源氏物語』に影響を与えているのは、間違いないけれど、実在の業平がプレイボーイだったかどうかは微妙ですね。光源氏のモデルとしては、もっと遡った『古事記』に出てくるスサノオノミコトや大国主命(おおくにぬしのみこと)などの色好みの神々や古代の英雄的な天皇たちの物語の影響もあるでしょう。

 古代の王たちがたくさんの女性たちと交わったというのは、その土地を支配したことの比喩です。だから英雄は色好みだとされたのです。古代の神話や伊勢物語の業平像などが、光源氏の人物像に引用されていると考えられます」

 一方で、平安時代のモテモテ女性と言えば、歌人の和泉式部が有名だ。藤原道長の娘の中宮彰子に仕え、紫式部とは同年代の同僚だった。河合氏によれば、

「和泉式部は、旦那がいたにもかかわらず、親王などと恋に落ちて、親王の死後もその弟と結ばれる恋多き、奔放ともいえる女性ですが、紫式部は『和歌はいいけど、けしからぬ人』というふうに辛口に批評して嫌っていたようです。おおらかな時代とはいえ、やはり嫉妬もあり、それが普遍的なドラマを生んでいった原因でしょうね。紫式部より時代は遡りますが、小野小町は逆に身持ちが固かったゆえに伝説となっているようなところがありますが、その一つに深草の少将の逸話があります。小町に逢いたいと何度も手紙や和歌を送り続ける深草の少将に対して、100夜通ってきたら契りましょうと言い、その言葉通りに99夜通い続けたものの、ついに100夜目に大雪のなかで倒れて死んでしまう。小町はなかなか行為をさせなかったのですね(笑)」

 当時の貴族の女性たちは、御簾(みす)とよばれた簾(すだれ)の奥にいて顔を見せるようなことはない。現代の「マスク美人」もしかりだが、隠れている顔を想像するのは、なんともゾクゾクするもの。男たちは垣間見という形で、屋敷の外からのぞいて品定めをしていた。

「女性は顔だけでなく、教養も大っぴらに見せてはダメなんです。清少納言などは、中国の古典や漢文の知識を身につけた才気煥発な人で、藤原道長の兄・道隆の娘の皇后定子(ていし)に仕えました。『枕草子』では、自分の教養を得意げにちらつかせていて、紫式部からは教養をひけらかす小賢しい人というふうに揶揄されています。清少納言が仕えた定子と紫式部が仕えた彰子は、それぞれ藤原道隆、道長兄弟の娘で、双方、一条天皇に嫁いでいます。紫式部と清少納言の宮仕えの時期は重なりませんが、紫式部はきっとライバル意識があったのでしょう」(河合氏)

 しかし、面識こそなかったかもしれないが、同時代にこのような才能のある女性2人が同じ場所にいたというのは奇跡的だと言わざるを得ない。

 ところで、大河ドラマの配役は、紫式部役に吉高由里子が決定しているだけで、そのほかの配役はいまだ発表されていない。数多のオンナたちを誰が演じるのか? 妄想キャスティングは、今だからこそ許されるお愉しみなのだ。

末國善己(すえくに・よしみ)
68年、広島県生まれ。文芸評論家。時代小説、ミステリを中心に評論活動を行っている。著書に「時代小説で読む日本史」「夜の日本史」、編著に「商売繁盛」「いのち」などがある。

河合敦(かわい・あつし)
65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊は「徳川15代将軍 解体新書」(ポプラ新書)。

高木和子(たかぎ・かずこ)
64年、兵庫県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。著書に「男読み 源氏物語」(朝日新書)、「源氏物語再考」(岩波書店)、「源氏物語を読む」(岩波新書)など。

*「紫式部」時代の性と暴力(3)につづく

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