世界の福本豊 プロ野球“足攻爆談!”「水島新司先生との貴重な思い出」

 漫画家の水島新司さんが1月10日に亡くなられた。

「ドカベン」や「あぶさん」など、多くの人気野球漫画を描き、野球好きなら誰しも漫画の中のキャラクターを知っている。ひとつの時代が終わった感じがして、心に穴が開いたようや。

 僕らの現役時代のパ・リーグは、今のようにテレビ中継もなかったし、日の目を見ることが少なかった。先生の漫画に実名で登場するのが、選手のひとつのステータスとなっていた。先生は大の南海ファンで「あぶさん」の主人公・景浦もホークスに所属する酒豪の強打者やった。よく球場に出入りしてたから、顔を見るたびに「漫画に出して」と、みんな頼みに行っていた。実際に漫画の世界に登場させてもらった時は、ホンマにうれしかったな。

 忘れられないのは、僕のライフワークとなっている「障害者野球のサポート」の手助けをしてもらったこと。身体障害者の人たちに甲子園球場で気持ちよく野球をさせてあげたいという想いで、2003年にNPO法人「身体障害者野球を応援する会」を設立した。資金集めのTシャツ販売のため、先生のところにイラストを頼みに行くと、ふたつ返事で引き受けてくれた。山田太郎と岩鬼がバットを振っている絵を描いてくれて、「We Love Baseball」の言葉を添えてくれた。

 ドカベンのイラスト入りTシャツは、確か2500円で販売して、原価分の1500円を引いた1000円を資金に回した。そのおかげもあって、甲子園で全国大会を開催できた。広い甲子園で野球をする障害者の人たちは、ホンマにうれしそうやった。

 野球はやっぱり青空の下、広いグラウンドでするもの。僕が「障害者野球」のサポートをするようになったのも、オフに慰問で訪れた障害者施設での経験があったから。障害者の人たちが室内でキャッチボールをしていたから「太陽の下でやろう」と屋外に誘い出した。すると、外で球遊びをした途端に、開放的な笑顔が広がった。

 その時にもっと野球の面白さを知ってほしいと強く思った。日本身体障害者野球連盟に関わるようになったのは、そこから。93年に設立され、今では全国の37チームが加入。アメリカや韓国、台湾からチームを招待して世界大会まで開催されるようになった。僕も春と秋の年2回の全国大会には、仕事でどうしても行けない時以外は、必ず顔を出しているし、名球会の仲間たちと一緒に野球教室も続けている。いつも思うけど、障害者の人たちはハンデキャップを抱えながら、ホンマ起用にボールを扱う。野球が好きやからこそ、うまくなるんやろな。オリックスの2軍監督時代に、若手選手たちの勉強のために見学させようと思ったぐらいやった。

 その理念に賛同してくださった水島先生が亡くなられたのは、本当に残念の一語に尽きる。ドカベンでルールを覚えた子供も多いし、昭和から平成にかけての野球人気に大きな影響を及ぼしたのは間違いない。2019年から野球殿堂の特別表彰候補に挙がっていたけど、20年12月に漫画家引退を発表して、21年からの殿堂候補者入りも辞退している。亡くなられた後に殿堂入りした方もいるし、功績をたたえるためにも、もう一度なんとかならないものかな。先生、本当にありがとうございました。

福本豊(ふくもと・ゆたか):1968年に阪急に入団し、通算2543安打、1065盗塁。引退後はオリックスと阪神で打撃コーチ、2軍監督などを歴任。2002年、野球殿堂入り。現在はサンテレビ、ABCラジオ、スポーツ報知で解説。

スポーツ