安倍総理は有識者会議が開かれた頃から、男系を維持するための「腹案」として、47年に連合国軍総司令部(GHQ)占領下で皇籍離脱した旧宮家の皇籍復帰を主張している。
「09年の麻生内閣の時にも、安倍総理が耳打ちして皇籍復帰案を持ちかけているんです。しかし、それに反対したのが、05年から12年まで宮内庁長官を務めていた羽毛田信吾氏(77)でした。麻生太郎氏(78)とはソリが合わず、更迭もささやかれていたのですが、その間に麻生内閣がガタガタになって、『安倍プラン』は立ち消えになってしまった。それでも諦められなかったのか、野党になったあとも自民党の勉強会で、『宮内庁は旧宮家の皇籍復帰に本気で取り組む気があるのか』とイラだちを見せることもありました」(政治部デスク)
この自信満々な安倍プランに懐疑的なのは、元国会議員の政策秘書で作家の朝倉秀雄氏である。
「確かに今の皇室典範のままでは、いずれ断絶の危機が訪れる可能性もあります。ただ、今の皇室と共通の祖先にたどり着くには、室町時代までさかのぼらなければならない。せっかく自由な生活を送っているのに、いまさら皇籍復帰しろと言われてもしたくないかもしれないし、対象者全てに拒否されることだって考えられるのです」
皇室制度の改正の動きは、11年9月から12年1月までの民主党の野田政権時代にも起きている。女性皇族が一般男性と結婚すると皇籍を離れなければならず、皇室消滅を危惧した当時の野田佳彦総理(61)は、女性・女系天皇の議論とは切り離し、女性皇族が結婚後も皇族として活動する「女性宮家」の検討を進めていた。そこに立ちはだかったのは、ほかならぬ下野していた安倍総理だった。
「この案は、羽毛田氏が野田氏に検討を求め、天皇陛下のご意向ともささやかれていました。それでも安倍総理は『男系でつむいできた皇室の歴史と伝統の根本原理が崩れる可能性はありえないかと心配する』と、反対の立場を変えなかったのです」(政治部デスク)
12年10月、野田政権は女性宮家の創設案など論点整理を取りまとめて前進させようとした。が、その2カ月後に衆院選で大敗。自民党が政権を奪い返し、第2次安倍内閣が発足すると、またもや棚上げにしてしまった。これが波紋を広げる結果となっているのだ。