7月28日、いよいよ稲葉篤紀監督(48)率いる侍ジャパンが出陣。世界ランキング7位のドミニカ共和国を劇的サヨナラで下し、好スタートを切ったが、周囲からは「金メダルに黄信号」という声が溢れ出していた。
3大会ぶりに追加競技として復活した野球。不思議なことに過去の五輪5大会で、日本の優勝はない。スポーツライターが解説する。
「昭和時代の84年ロサンゼルス五輪、88年ソウル五輪こそ金メダルと銀メダルに輝きましたが、どちらも公開競技で、各国の公式な獲得メダル数にはカウントされていない。正式競技に採用された92年バルセロナ五輪以降、日本代表は5大会で銀1、銅2、4位が2回と屈辱を味わってきたし、ましてや24年のパリ大会では野球が正式競技から落選。それだけに、金メダル獲得が野球界の悲願であり、稲葉ジャパンにとって最重要課題です」
稲葉監督自身、事あるごとに「東京五輪で大事なこと、それは金メダルを獲ること」と公言してやまない。スポーツ専門誌編集者によれば、
「17年7月、侍ジャパンの若き指揮官に就任し、同年11月の『アジアプロ野球チャンピオンシップ』で初陣を飾り、3戦全勝。19年11月の東京五輪予選を兼ねた国際大会『第2回プレミア12』でも、前回覇者の韓国に連勝して初優勝を果たした。主要国際大会では09年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)以来の快挙で、東京五輪が楽しみになったものでした」
今年6月16日には、日本代表内定選手24人が発表された。五輪経験者は楽天の田中将大(32)のみながら、『第2回プレミア12』に出場した14人の〝侍〟たちが選ばれた。ところがその矢先、
「2日後に広島の會澤翼(33)が左下腿腓腹筋挫傷で、6月25日には巨人のセットアッパーの中川皓太(27)が左肋骨骨折、7月3日には巨人のエース・菅野智之(31)がコンディション不良と、辞退者が相次いだ。會澤の代役こそ、その日のうちに阪神の梅野隆太郎(30)で決まったけど、中川の代役発表は7月5日にズレ込んだ」(スポーツライター)
中川の辞退が発表されたあと、稲葉監督の「すぐに代わりとはいかない」という言葉が報じられたことで、楽天の松井裕樹(25)やDeNAの今永昇太(27)、巨人の高梨雄平(29)、オリックスの宮城大弥(19)など、サウスポーの名前が浮上していた。しかし追加招集されたのは、ソフトバンクの千賀滉大(28)と日本ハムの伊藤大海(23)の両右腕。しかもなぜ、追加招集の発表まで10日間も要したのか。
ベンチ裏の攻防戦を、スポーツ紙記者が明かす。
「菅野の代わりは千賀ですんなり決まりましたが、中川の代役を巡って難航していた。当初は松井で決まり、とみられていましたが、楽天の石井一久GM兼監督(47)が最後まで首をタテに振らなかった。五輪開幕が迫る中でのことだけに『うちの松井が追加って、どういうことよ』と、けんもほろろだったそうです。確かにいきなり招集されても、五輪会場や五輪で使用されるボール(SSK社製)への対応など、投手の調整は特に難しい。松井にしても、楽天の抑えの切り札というプライドがあるでしょうし、下手なピッチングは見せられませんからね」