芸人なら誰もが一度は、過酷ロケの洗礼を受けたことがあるもの。芸歴およそ33年で、ピン芸人を貫いている松村邦洋はその筆頭格といっていい。デビューした昭和末期は、テレビ番組の制作費を湯水のごとく使えた。無茶も博打もできたため、駆け出しの芸人はモルモットのように“試された”。
松村の名を一気に全国区にしたのは、「進め!電波少年」(日本テレビ系)シリーズ。命の危機を感じたのは、一度や二度ではない。
「豪邸のプールで泳ぎたい」というシリーズでアラブ首長国連邦を訪れたときのこと。豪邸に向かう道中の砂漠で、ロケ車が故障してしまった。ドライバーとプロデューサーは歩いて救助の要請に向かい、松村と2名のスタッフは残った。しかし、援助隊がまったく来ない。焦った3名は自力で移動したが、遭難した。飲まず食わずで、仮眠を取りながら移動。翌日には飲料水がカラになり、肌も唇も乾燥して脱水症状が見られはじめた。そのとき、救助隊が現れて九死に一生を得たという。
オーロラを観るためにアラスカへ行ったときは、冷凍庫と変わらないほどの極寒。原住民から防寒対策することを促されたが、顔を防寒マスクで覆うとテレビで寒さが伝わらない。そのため、松村だけはノーマスク。撮影中から凍傷によって皮膚が変色した。
NIKEのスニーカー「エアマックス」をはいた人を襲う“エアマックス狩り”が大流行した90年代中盤には、都内でチーマーを更生させる企画に挑戦。案の定、餌食になってしまい、東京・池袋のド真ん中で全裸にされた。
「急いでスタッフの元へ戻ろうとしたら、『騒動に巻き込まれたくない』というあるまじき理由でロケ車が移動(笑)。放置された松村さんはタクシーで帰宅。領収書をもらっておいたのですが、経費で落ちなかったというオチがつきました」(テレビ誌ライター)
09年3月には、東京マラソンに参加中に突然倒れて、心肺停止している。AED(自動体外式除細動器)で緊急処置をされて呼吸を回復したあとに入院。急性心筋梗塞による心室細動と診断された。当時の体重は102㎏。長距離マラソンに耐えうる重さではなかった。
昨年12月末には、新型コロナウイルスに感染。09年の重症化があるため、発症後に肺炎を悪化させる可能性があると告げられた。幸いにも最悪の事態は免れて退院できたが、今年1月の時点では深呼吸をすると胸に違和感を覚えていたという。
ものまね界のレジェンドである松村。53歳で独身。そろそろ伴侶をもらって落ち着いた人生を過ごしてほしいものだ。
(北村ともこ)