急逝・マラドーナさんが遺した8人のDNA、第一子はU−17イタリア代表に

 伝説の「5人抜きゴール」などから、「神の子」と呼ばれたサッカー界のスーパースター、ディエゴ・マラドーナさんが11月25日、アルゼンチンのブエノスアイレスにある自宅で心臓発作のため亡くなった。60歳だった。

 現地メディアによれば、マラドーナさんは11月初旬に左頭部に硬膜下血腫が見つかり、手術を受け、退院後は自宅で治療を受けていたという。

 サッカージャーナリストが語る。

「マラドーナさんは、2000年にもウルグアイでの休暇中に心臓発作を起こしたことがあり、その際の診断で、過去の違法薬物の使用が原因で心臓組織が38%しか機能していないことが判明したと伝えられました。今のところ、薬物と死因との因果関係はハッキリしていませんが、その早すぎる死に衝撃が走っています。ただ、私生活はともあれ、彼が残した功績はあまりにも大きいとして、アルゼンチンでは政府が3日間、喪に服すことを決めるなど、国を挙げて国民的英雄の死を悼んでいるようです」

 マラドーナさんは13歳で学校をやめてサッカーに専念。アルヘンティノスを経て、81年にアルゼンチンの名門、ボカ・ジュニアーズに移籍。その後、イタリアへ渡ると、SSCナポリで活躍し、87−88シーズン、セリエAで得点王となった。

「ワールドカップには82年から4大会連続出場。82年のスペイン大会では、21歳の若さで10番をつけて出場して、2得点を記録。86年のメキシコ大会での準々決勝、イングランド戦で『5人抜き』でゴールを決め、さらに決勝で西ドイツを破りアルゼンチンを優勝に導きました。97年の10月、37歳の誕生日に現役引退を発表するまで、多くの話題を提供し続けました」(前出・ジャーナリスト)

 天才的プレーでサッカーファンを魅了する一方、破天荒な素行が次々と明るみになった。

「彼がピッチでその才能をいかんなく発揮し始めたのは、ナポリに移籍してからですが、この頃から彼の回りでは違法薬物、女性トラブル、マフィアとの付き合い等々、常にスキャンダルが付きまとうようになった。そして、94年のワールドカップでは検査で禁止されている薬物を使用していたとして出場停止処分を受け、引退後も、たびたび薬物中毒などで倒れ、入退院を繰り返していたと伝えられます」(前出・ジャーナリスト)

 SSCナポリ時代には、幼馴染の女性と交際中にもかかわらず、別のイタリア人女性との間に子供が誕生(1986年)。しかし認知せず、裁判に発展。また、イタリアの名門マフィアとの関係性が表面化し、違法薬物の密売やサッカー賭博への関与が疑われたこともあった。

「91年には、マラドーナに対し、ナポリ検察庁が薬物使用の疑いがあると発表。疑惑は否定したものの、再検査の結果、陽性反応が出たため、イタリアサッカー協会から15カ月の出場停止処分を受けたこともあります。ナポリ退団が決定的となったことを受け、一時、名古屋グランパスへの移籍が浮上したことがありましたが、これも薬物の使用歴などが原因で破談になってしまったんです」(前出・ジャーナリスト)

 ただ、女性にはモテていたようで、先に触れたイタリア人女性との間にもうけた子供に加えて、1989年に結婚した夫人との間に女児2人をもうけ(2003年に離婚)、さらに52歳だった2013年には恋人との間に男児が誕生している。

「加えて2019年にはキューバの2人の女性との間に3人の子供がいることが判明していますからね。わかっているだけで子供は計8人。英雄色を好むの格言通り、そちらのほうは、生涯お盛んだったようです」(前出・ジャーナリスト)

 SSCナポリ時代に生まれた子供は、ディエゴ・マラドーナ・ジュニアとしてU−17イタリア代表に選出されたが、サッカー界のスーパースターのDNAを継ぐ者がピッチで躍動する日が再び訪れるのだろうか。

(灯倫太郎)

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