50歳を過ぎて円熟期どころか、再び全盛期に突入しようとするのはやはり、天才たるゆえんなのか。突如襲った大オーナーとの確執、絶縁が奇跡の「終戦」を迎えるや、その象徴たる馬で脚光を浴びる。「ミスター競馬」の新章、その全舞台裏とは─。
1月19日の京都6レース、3歳新馬戦(芝・1800メートル)。1番人気を背負った競馬界のレジェンド・武豊(50)は道中2番手から直線で先頭に立つと、内から迫ってきたフアナをしのいで先頭ゴール。その瞬間、大歓声が巻き起こった─。
勝ち馬はアドマイヤビルゴ。セレクトセールで史上2番目の高額となる6億2640万円で落札された良血馬(父ディープインパクト)である。
その名を聞いてオヤッと思った競馬ファンは多いことだろう。なにしろ、「アドマイヤ」の冠名で知られた名物オーナー、近藤利一氏と武は10年以上の長きにわたる「確執」でほぼ絶縁状態に陥る「禁断のコンビ」だったからだ。
発端となった「事件」は07年4月に勃発。アドマイヤオーラで臨んだ皐月賞(4着)と、その後に香港で行われたアドマイヤムーンでのクイーンエリザベス2世杯(3着)だった。両馬に騎乗した武の騎乗ぶりを「積極性がない」と近藤氏が激しく批判。武は「もう二度と(近藤氏の馬には)乗らない」と言ったとされ、両者に深い溝を生じさせることになったのである。
「ただし、09年12月5日の阪神12レース(ゴールデンスパートロフィー)は、ワールドスーパージョッキーズシリーズとして、抽選で騎乗馬が決定するレースだったため、たまたま『当たった』武が乗ることになりましたが‥‥」(競馬ライター・兜志郎氏)
この不可抗力ともいえる「例外」を除き、交わることのなかった大馬主と天才騎手。09年のあるパーティーでは、武と親しい藤田伸二氏(15年に引退)の仲介により、なんと両者が握手をするシーンが見られた。もちろん、しぶしぶという感じで、関係修復には至らなかったのだが・・・・。
そのまま時は過ぎ、昨年11月17日に近藤氏が急逝(享年77)。実は近藤氏は亡くなる前、アドマイヤビルゴを預けている友道康夫調教師に、こう言い残していたという。
「(ビルゴは)ユタカに乗せてくれ。ディープに乗ったことがあるのはユタカだけだから」
いったい何があったのか。兜氏が言う。
「昨年の武の勝利数111のうち、友道厩舎の馬で7勝と、最も多い。武との関係が良好な友道師の口添えで近藤氏の気持ちを変えさせたんだと思います」
名物オーナーの「遺言」を胸に「(騎乗が決まって)身震いした」と心のうちを明かしていた武だが、みごと1番人気に応えてみせたのだ。
「アドマイヤビルゴの口取りには、オーナーを引き継いだ旬子夫人が近藤氏の遺影を持って登場し、見ている我々もジーンときたものです」(スポーツ紙競馬担当記者)