本書は第172回芥川龍之介賞を受賞した小説である。ゲーテが残した(かもしれない)言葉を探す経緯を、その6年後に主人公の娘婿が小説にした、という体裁をとっている。
娘婿は冒頭の「端書き」で登場する。実は途中からも出てくるのだが、それが語り手の娘婿であることは小説の最後で明らかになる。なかなか凝った構成だ。
主人公の博把統一はドイツ文学者で、主にゲーテを研究してきた。統一の義父もドイツ文学者である。というか、義父・芸亭學の薫陶を受けて、ドイツ文学者となった統一が、學の次女と結婚したのである。どっぷりとゲーテに漬かった一族なのだ。
さて、事の発端は統一と妻、義子の結婚記念日。娘の徳歌が、2人をイタリアンレストランに招待して祝った。デザートで出てきた紅茶のティーバッグには、古今東西さまざまな名言が英語で記されている。統一の紅茶には、日本語にすれば「愛はすべてを混乱させることなく、混ぜ合わせる」という意味の英語が。発言者としてゲーテの名がある。
ところが、統一の記憶によると、ゲーテにそのような言葉はない。日本一のゲーテ学者である自分が知らないゲーテの言葉があるなんて。というわけでゲーテの言葉の出典探しをする、というのがこの小説の大まかな流れである。
そんな地味な題材が小説になるのか? と思うかもしれないが、これが面白いのである。世界的文豪の名言の出典探しがミステリーとなりアドベンチャーとなる。ついにはドイツのフランクフルトまで行ってしまうのだから。学者というのは、知りたいことや確かめたいことがあったら、世界の果てまで追わずにはいられない生き物なのだ。
大学という世界、ドイツ文学界という世界、学者というものの生態がいささか滑稽に描かれている。筒井康隆の「誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授」(河出書房新社)を思い出した。古いところでは三浦朱門の「セルロイドの塔」(角川文庫)とか。
「ゲーテはすべてを言った」というのはドイツ人のジョークらしい。ドイツ人は事あるごとに「○○とゲーテは言った」と言うそうで、それを笑う、あるいは開き直る言葉である。
ゲーテの「ファウスト」や「色彩論」をはじめ、いろんな作家や学者の言葉が引用される。選評で松浦寿輝は「雑学小説とでも言うべきか」と言い、島田雅彦は「書誌学的ペダントリー」と言い、奥泉光も「ペダントリーを駆使」「知的な遊戯性にも溢れ」と言う。山田詠美の「文学的おしゃまさん!」という言葉にグッとくる。ペダントリーとは学問や知識をひけらかすことだが、この小説に嫌味な感じはない。
統一がテレビの教養番組で「ファウスト」を解説することになり、その準備や番組での発言が、読者のゲーテ理解を助ける仕掛けにもなっている。うまい。
著者の鈴木結生は01年生まれ。すごい才能が現れたものだ。
《「ゲーテはすべてを言った」鈴木結生・著/1760円(朝日新聞出版)》
永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。