「日航機墜落」“松尾ファイル”で浮き彫り「JALは加害者なのか」(2)事故調が捜査をミスリードした

 それにしてもなぜ、群馬県警は刑事立件にこだわったのか。群馬県警が松尾氏の取り調べを始める前にボーイング社は「事故の原因は自社の修理ミスにある」と認めていた。ところが、警察と検察は「日航が(修理中や修理終了直後の)領収検査で修理ミスを見逃した」「その後の定期の点検・整備でも(修理ミスによって発生する)亀裂を見落とした」と判断して松尾氏や日航を厳しく追及した。

 捜査のたたき台にされたのが、運輸省航空事故調査委員会の事故調査報告書(1987年6月公表)だった。しかし、その報告書の一部に誤りがあった。その誤りに対し、松尾氏は「修理ミスや亀裂は領収検査や点検・整備で発見できない」と申し入れたが、事故調はことごとく無視した。

 事故調査報告書は〈後部圧力隔壁の損壊に至るような疲労亀裂が発見されなかったことは、点検方法に十分とはいえない点があったためと考えられる〉(本文125ページ)などと記している。つまり、「日航の点検・整備が不十分だから墜落事故が起きた」と指摘しているのだ。警察や検察が、松尾氏や日航に刑事責任があると判断した根拠はこの辺にあると思う。事故調が警察と検察の捜査をミスリードしてしまった。

 日米関係も考えておかなければならない。墜落事故当時、日本という国を動かしていたのは、アメリカとの外交を何よりも重視する中曽根政権だった。中曽根康弘首相は日米首脳会談(1983年1月)の中でレーガン大統領と親密な関係を作り、強固な日米関係を築き上げている最中だった。ボーイング社はアメリカを代表する企業である。中曽根政権がそのボーイング社の不利益になるようなことを認めるはずはなかった。結局、日航は日米関係の犠牲となった。

 しかも、事故調は独立性に欠けていた。運輸省の一部機関に過ぎず、事故の調査をめぐって中曽根政権から何らかの圧力を受けていたと考えてもおかしくはない。

 次に、なぜボーイング社が隔壁の修理でミスを犯したのかについて触れておこう。しりもち事故のころから日本航空とボーイング社を結ぶパイプ役で日航側の窓口だった松尾芳郎氏は「エンジニア(技術者)の書いた修理指示書(FRR)は乱暴に書かれていた。メカニック(作業員)が読み間違えて作業したのだろう」と語り、ボーイング社の工場を見学した体験をもとに「エンジニアとメカニックの間に壁や塀があった。エンジニアは塀の向こう側からメカニックに指示を投げ渡すようなところがあった。エンジニアとメカニックの意思疎通が不十分だった」と説明する。ちなみに問題の修理指示書は、拙著に掲載し、表紙にも大きく印刷してある。

 ボーイング社は40年近くの歳月が流れても、修理ミスがなぜ起きたかについては一切、明らかにしていない。これは類似の航空事故の再発防止を目指すうえで、「公表して共有する」という大原則に反する行為である。

 最後にひとこと付け足す。新聞記者などジャーナリストを長く続けていると、書きとめて後世に残さなければ‥‥と思うことが出てくる。拙著で取り上げた日航ジャンボ機墜落事故の真相もそのうちのひとつである。

木村良一(きむら・りょういち)ジャーナリスト・作家。1956年10月18日生まれ。日本医学ジャーナリスト協会理事。日本臓器移植ネットワーク倫理委員会委員。日本記者クラブ会員。三田文学会会員。元産経新聞論説委員。元慶大非常勤講師。ファルマシア医学記事賞やファイザー医学記事賞を受賞。著書に「移植医療を築いた二人の男」「臓器漂流」「パンデミック・フルー襲来」「新型コロナウイルス」などがある。

*週刊アサヒ芸能7月4・11日号掲載

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