去る4月の米国議会での岸田文雄総理の演説は、私も興味深く聞いた。その内容や演説のやり方もさることながら、服装やネタタイを見るにつけ、誰かプロがアドバイスできなかったのだろうかと慨嘆した人がいたとしても驚かない。
振り返ってみると、国際場裡で「位負けしない」見栄えを誇った日本の総理は、残念ながら極めて少ない。40年間外務省にいて歴代の総理を支えたが、中曽根康弘氏、安倍晋三氏くらいであったように思う。なぜか?単純な話だ。体格が良く、仕立ての良いスーツを着ていただけでなく、背筋をピンと伸ばして姿勢が良かったからだ。かつて外国からの賓客を迎えるたびにおどおどし、視線が宙を泳ぐ総理もいたが、そんな情けない仕草とは無縁だった。
外交や国際政治の世界では、語られる言葉も大事だが、しばしば「見てくれ」の方が注目されがちなのは世の常だ。かつて国連PKO法案審議がたけなわのころ、安定した答弁で知られた私の上司の条約局長が、テレビで答弁を聞いていた女性から、答弁の内容ではなくネクタイを誉められたと当惑していたことを思い出す。
私自身も駐豪大使時代、かつてロンドンで仕立てたスーツを着て外交行事に臨んだ際、目ざとい元豪州首相や大使仲間から、「サヴィル・ロー(洋服仕立て屋が並ぶ通りの名前)だな」と言われたことを覚えている。見る人は見ているのだ。
そうした「プロの目」で見たとき、岸田演説はどうだったか?改善点が少なくなかったように思う。
まず、姿勢だ。猫背に加え、ガニ股で肩をゆすりながら歩く仕草は一国のリーダーにふさわしいとは言えまい。のみならず、服装は麻生太郎氏、安倍氏のようなセンスを感じさせるものではなかった。オーダーメイドのスーツのスラックスの裾に鉛の弾を入れ、常に美しいシルエットを演出しているといわれる麻生氏ほど凝るのは常人には無理だろう。それにしても、米国議会での演説は、日本国首相にとっては10年に一度の大勝負だ。もっと背伸びしてよかったように思う。
重要な外交行事に臨む際には、ダークスーツ、白シャツ、黒靴は三種の神器だ。「コンサバに決めろ」との言葉がよく表しているとおりだ。
今回のコーディネートで最も首を傾げたのは、ネクタイだ。レジメンタル(斜め縞)のタイが好きなのはわかる。でも、なぜあの機会にそういう選択をしたのか?
日本では、かつて流行ったアイビー・ルックの残滓で今なお根強いファンを持つ柄なのは分かっている。だが、もともとは英国の軍人や学生が身内の団結を強調するときのタイだった。早稲田OBが秩父の宮で母校のラグビーを応援する際に、赤と黒の縞のタイを締めるのなら分かる。だが、日本国総理大臣が米国議会で所見を訴える際、なぜ、右肩上がりの英国式レジメンタルなのか?
たかが服装、されど服装。コロナ禍で加速された服装のカジュアル化がいきわたった日本。問題は、外に出た際に、こうした目が光っていることなど思いも至らずに、良かれと思って我流を貫いていることと言ったら、厳しすぎるだろうか?
でも、一国の総理には細心の配慮を求めたいと思う。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。