プリゴジン氏の死去に際し、「彼のことは1990年代初めからよく知っている。困難な運命を背負い、重大な間違いも犯したが、望ましい結果も達成した」と追悼したプーチン大統領。だが国内では、今回の死が単なる航空機事故ではなく、裏切りに対する報復であり、見せしめ的に粛清されたと見る国民が多いことも事実だ。
では、プーチン氏は「ワグネルの乱」から、なぜ2カ月間もプリゴジン氏に手を下さなかったのか。この疑問について、ロシア情勢に詳しいジャーナリストはこう分析する。
「考えられる一番大きな理由は、プリゴジンを泳がせることで、まずは彼が持つ利権と人脈をすべて洗い出したかったのではないでしょうか。おそらくプーチンには当初から、それらの作業がすべて終わってから、との思惑があった。爆破工作があったとすれば、
それが事実であれば、プーチン氏の用意周到さに舌を巻くばかりだが、同ジャーナリストが言うには、プーチンがどうしても突き止めたかったプリゴジン氏の秘密が、アフリカ利権だったのではないかという。
「ワグネルは中央アフリカをはじめ、マリ、リビア、スーダンなど内戦中の国々に部隊を送り、その見返りとして金などの採掘権を報酬として得てきました。一部報道によればその額は数千億円にも及ぶとされ、プーチンはそれをそっくりそのまま奪うつもりでいた。それが2カ月間、プリゴジン氏を泳がせた最大の理由だと思われます」
ではなぜ、8月23日を決行の日に選んだのだろうか。同ジャーナリストが続ける。
「その答えはズバリ、来年の3月18日に行われるだろう次の大統領選への影響ではないかと思われます。というのも、通算5期目となる次の選挙での勝利は、プーチンにとって3期連続という大きな意味がある。プーチンは2000年にはじめて大統領に就任。2期を終えた2008年時点では、憲法で“連続して3期以上大統領を続けることができない”という規程があったため、一度首相の座を降り、メドヴェージェフを大統領に据えて二頭体制をとってきた。そして2012年に大統領に返り咲き、4期目を迎えた2020年に、これまでの任期が適用外となるよう憲法改正してしまったのです。ですから次の選挙はプーチンにとって、ロシア連邦の歴史上、初の連続3選の大統領になれるかどうかの大一番。大統領選は来年3月なので、通例なら11月中旬頃には出馬表明があるでしょうから、そのタイミングを前に『弱い大統領』というイメージを払拭しなければならなかった。それがジェット機墜落死に繋がったのではないかと推測されます」(同)
権力への執着の恐ろしさには身震いするばかりだ。
(灯倫太郎)