「夢グループ」社長が激白「甲子園を目指して東北高校野球部に。ところが退学の憂き目に…」

 今回は僕が青春時代に情熱を注いだ野球についてお話ししましょう。

 福島県庁職員の父と専業主婦の母のもとに生まれた僕は幼い頃、県庁の団地で暮らしていました。両親は教育熱心だったため、僕を国立の福島大学教育学部付属小学校へと進学させてくれました。ところが、勉強嫌いの僕がもらう通知表はいつも最下位評価のC並びで、唯一「体育」だけがA。

 そんな僕に対して両親は「勉強しなさい」と咎めることはありませんでした。

 確か、小学2年生の授業参観日のことです。運悪く日直当番だった僕は「起立、礼、着陸!」って言っちゃったんです。それ以来、保護者の間では「あの子、大丈夫なの? 体は大きいけど、ふざけてるのかしら? あんな子と遊ばせたくないわよね」という評判が立ち、友達がいなくなりました。

 でも、ひとりぼっちだからといって、部屋に引きこもるような僕じゃありません。団地の壁に向かってボールを投げてはキャッチする毎日が始まりました。〝将来は野球選手になるんだ!〟という夢を抱いて。だから、当時の僕の友達は団地の壁でしたね(笑)。

 夢に向かって、本気で行動に移したのは同付属中学校3年の秋頃。この頃にはうんと勉強をして頑張ったおかげで、成績も上から40位ぐらいに入るまでになっていました。次はいよいよ甲子園を目指しての高校選びです。僕がいちばん行きたかったのは、広島県の「広陵高校」でしたが、福島からはあまりに距離がありすぎて、両親から却下。そこで、近県で見つけた強豪高校が、宮城県の「東北高校」だったんです。東北高校といえば、ダルビッシュ有選手や佐々木主浩氏など、多くのプロ野球選手を輩出している名門高校です。

 9月のある日、4時間目の授業が終わった後、僕は鈍行列車に飛び乗って、見学のため、東北高校へと向かいました。仙台駅からバスを乗り継ぎ、到着したのは約2時間後の午後3時過ぎ。グラウンドでは約120名ほどの野球部員らが練習に励んでいました。それを僕、腕組みしながら眺めてたんですね。そしたら、かの有名な竹田利秋監督から「キミ、どこの高校生?」と声をかけられたんです。180センチで体も大きかったし、高校生かどこかのスコアラーかと思われたようでした。事情を説明すると「福島から一人で来たの!?」と驚いていました。実はこの日、東北高校に行くことは両親に内緒だったんです。なぜなら親は、野球をするために遠方の高校に行く必要はないという考えだったものですから。

 その後、監督にキャッチボールとバットスイングを見てもらうと「キミ、ウチに入らないか」とお誘いを受けました。そこで正直に「両親は、野球をするにしても、地元の高校へ行って、六大学へ進学するのを望んでいるんです。でも、自分は高校で甲子園に出場して、プロからスカウトされるという夢があるんです」。そう、竹田監督に話すと、「東北高校には六大学の推薦枠があるよ。勉強も頑張るなら、ご両親を説得するよ」という答えが返ってきました。

 監督は本当に両親を説得してくださり、念願の東北高校に入学。寮生活を送りながら毎日、練習に励みました。1年生から試合にもたびたび出させてもらいました。〝さあ、これから石田の時代が来るぞ!〟と思っていた矢先、事件が起きたのです。それは、他の生徒による不祥事事件でした。そのため、しばらくは他校との試合はできないと言うのです。

「甲子園という道もしばらくは難しい」。練習後の監督の言葉に愕然とした僕は納得がいきませんでした。

「部員が起こした問題なら連帯責任と言われても理解できます。でも、他の生徒が起こした不祥事の責任をなんで僕らが犠牲を払わなきゃいけないんですか?」

 先輩や同級生達はぎゅっと唇を噛みしめながら泣いています。僕は〝泣いている場合じゃないだろう〟と内心思いつつ、さらに監督に詰め寄りました。

「監督、高野連に抗議しないんですか?」

 すると、黙って聞いていた監督が口を開きました。

「石田、これが高校野球のルールなんだ」

 その言葉を聞いて僕、思わず大きな声でこう言っちゃったんです。

「くだらない、こんなルール! いち、やぁ〜めた!」

 本音としては、てっきり監督は引き止めてくれるもんだと思っていました。「石田、考え直してくれ」と。ところが、現実は予想外の展開に。

「この厳しい状況の中で何を考えているんだ。辞めたいなら勝手にしろ!」

 監督にここまで強く叱られたのは初めてでした。結局、自分で言った言葉に引っ込みがつかず、そのまま僕は東北高校を中退してしまったんです。それから別の高校に再入学したわけですが、3年生の時に東北高校が甲子園でベスト8まで進んだのをテレビで観ながら〝ああ、あの時、あんな捨て台詞なんて言わなきゃよかった〟と、悔やむ思いでいっぱいでした。

 そんな風にはかなく散った夢をかなえたい気持ちから、夢グループで元プロ野球選手の松永浩美さんや駒田徳広さんらを迎え入れた野球教室を開いていた時期もありました。

 東北高校から学んだこともたくさんあります。特に強く感じたのが平等という精神。グラウンドに出れば1年生も2年生も3年生もみんな平等でした。グラウンド整備も全員で行うし、〇〇先輩などと言わずに呼び捨てです。「〇〇先輩」なんて言ってる間に球がグローブから落ちちゃいますからね。

「甲子園に行くことが目標じゃない。甲子園で優勝するために練習をしているんだ。そのためには経験が必要だから、場数を踏ませるためにも同じレベルだった場合は1年生を起用する」。こんな監督の言葉も最高だなと思いました。

 一時は野球を続けられなかった自分自身を悔いたり卑屈になったりもしました。でもね、ありがたいことにこの歳になって野球仲間から同窓会の連絡があったり、現在の東北高校の先生方から「よく頑張ったね」とお誉めの言葉をいただいたりするんです。それが本当に人生の中で何よりもうれしかったことですね。

石田重廣(いしだ・しげひろ)株式会社夢グループ、株式会社ユーコー代表取締役社長。1958年7月1日生まれ、福島県出身。自ら出演する「夢グループ」のテレビショッピングで大人気。昨年、保科有里とのデュエット曲「夢と…未来へ」で歌手デビュー。

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