テリー その後、すぐにお母さまも亡くなって。僕は寂しがり屋の慎太郎さんが「お前、一緒に行こう」って言ったのかなって思いましたけど。
石原 それは主治医の先生がまったく同じことを電話で言ってましたね。私は「そうですか。先生はそう思われますか」って言ったんですけど。そしたら翌日、先生がまた「私、ひと晩考えました」とメールをくれて。「昨日言ったのは間違いでした。あれは間違いなく、お母さんがお父さんを追っかけていった」と書いてました。
テリー なるほどね。
石原 不器用な親父だったから1人では生活できないですよね。死んだ後の生活があるのか、私にはわからないですけど。でも、まぁ母親もおかげさまで、死に顔はすごくきれいだったですね。
テリー 亡くなってから書店に行くと、慎太郎さんの本が山積みになってて。出版社の方に聞いたら、特に若い女性の購読が多いと。うれしいですね。
石原 母親が急に逝ってしまったので、ちょっと白紙に戻ったんですけど、親父のお別れの会を準備していて。四男が画家ですから、親父のこれまでがビジュアルでわかるような大きなボードを作ろうと思ってるんですね。ところが、本家を売却する時に全部寄贈しちゃったので、親父が書いた本の原本が家に全然ないんですよ。だから、四男が寄贈した図書館や大学に写真を撮りに行ってるんですけど、「兄貴、親父は本を何冊書いたと思う? 確認しただけで630超えてるよ」って言うんですよ。
テリー スゴいよね。
石原 100冊書くと多作だって言われるらしいんですけど、まぁ、そうやってずっといろいろな仕事をしてたんだなと。亡くなる1週間ぐらい前まで、1日1時間ぐらい、キーボードに向かって何か打ってましたから。
テリー 手書きじゃなくてパソコンで打ってるって聞いて、驚いたことがありますね。
石原 でも、iPadはダメでしたね。うちの息子に教えろって言ってたんですけど、あれはキーボードが平ら(ソフトウェアキーボード)だから難しかったみたいで。画面を指でシュッてやるのもできないし。「お前ら薄情だ」って、息子とケンカしてましたけど(笑)。
テリー 2年ぐらい前だったかな。銀座のけっこう高級なレストランに招待されて行ったら、途中でシェフが出てきて、「これは○○で採れた××で、おいしいんです」とか説明してくれたんですけど、3品目ぐらいでイライラしてきて、「うるさい。おいしいかマズいかは食べる人が決めるんだ」って(笑)。それって正論ですけど、なかなかそんなこと言わないじゃないですか。
石原 思ってても普通はね。
テリー でも、それって本質だし、やっぱり作家だなと思って、僕にとってはすごく新鮮でしたね。
石原 ある意味、作家というのは、未来を見据えて現在をどう斬るかみたいなね。それは私小説でもルポルタージュでも何でもいいんですけど。きっとそういう仕事であることが、石原慎太郎の全ての行動の基本にあったんでしょうね。それが生きてる間はなかなかわからなかった。自分で家族を招待しておいて、機嫌が悪くなると帰っちゃう人だったから。
テリー あと、料理がなかなか出てこないって帰っちゃったこともあるし。
石原 まぁ、好き勝手やって、いい人生だったと思いますね。
*テリー伊藤対談【3】につづく