日本国内で、北朝鮮の意を受けひそかに動き回っている日本人がいる。一般人が知る由もない形で、いつからか事は動き出していた。警視庁の公安部が徹底マークする大物工作員は、とてつもなく大きな理想を描いているようなのだ。
11月中、警視庁公安部が、ある出版社とその代表者宅に強制捜査をかけた。
容疑は、私電磁的記録不正作出・同供用。平たく言えば、役所などの公的なものではなく、民間の私的なコンピュータ記録に不正な情報を登録させるなどする犯罪だ。今回の場合は、ホテルなどに偽名で予約を入れ、不正な記録を作らせたというもの。
このあまり聞き慣れない罪名は、なかなか逮捕容疑が固まらない暴力団や極左などによく適用される。ところが、今回の捜査対象者はそうではなかった。では、何者か。
「北朝鮮の大物工作員だ」
公安関係者は言いよどむこともなく、そう明かした。
その人物を仮にAとしよう。Aは北朝鮮の政治指導指針たるチュチェ(主体)思想、共産主義による世界革命を唱えるマルクス・レーニン主義の北朝鮮版とも言われるものを研究する「チュチェ思想国際研究所」の事務局長として活動。そのかたわら、北朝鮮を建国して初代最高指導者に就任した金日成についての書籍などを出版する「X社」なる会社の実質的な代表なども務めている。
そこに至るまでの経歴は風変わりだ。長崎県出身のAは中学卒業後、三菱重工業に就職して神戸造船所に勤務したが、1965年に兵庫県立東神戸高校の定時制に入学。卒業後には群馬大学医学部に進学した。そして、大学紛争の嵐が吹き荒れる中、左翼活動に身を投じた。北朝鮮との関わりができたのは、この時であったという。公安関係者が続ける。
「チュチェ思想国際研究所は事実上、北朝鮮の工作機関であり、Aは主要な工作員の立場にある。北朝鮮による日本人拉致の実行犯の一人である八尾恵は告白本の中で、かつて『日本青年チュチェ思想研究会』のリーダーであったAに影響を受けたことを記している。そのうえで、Aが何度も北朝鮮へ渡航し、朝鮮労働党から直接指示を受けて日本で活動していたことや、労働党から勲章を受けていたことなども明かしているが、まさにそのとおりだ」
それにしても、公安部の狙いはいったい何なのだろうか。北朝鮮による深刻なスパイ活動は最近、あまり確認されていないのだが‥‥。
公安関係者がさらに明かす。
「工作員や協力者についての情報を更新するためだ。最近、北朝鮮の捜査が手薄になっていたが、その間に沖縄やアイヌの問題に関わって、おかしな動きをしていた」
事実、Aは毎年のように沖縄で「チュチェ思想新春セミナー」なるものを開催し、沖縄の「自主と平和」を唱えて日本からの独立を働きかけるとともに、米軍の追い出しをも図っている。
19年には、北海道で「金日成主席を回顧する集い」を開催し、アイヌ民族に自主性を促す活動などもしていた。
こうした動向に、公安当局も注目し始めたというのである。
「彼らは、沖縄やアイヌの自主性が日本国政府によって阻害されていると喧伝し、それを取り戻すためには闘争する以外に道はないと扇動する工作を実行している。独立闘争をけしかけているわけだ。その根底には、チュチェ思想による世界革命というイデオロギーがある」
公安関係者は、チュチェ思想国際研究所による工作の危険性について、そんな分析をした。そのうえで、付言する。
「もっとも、沖縄やアイヌに独立を働きかけているのは、北だけじゃない。中国もそうだ。いや、むしろ中国のほうが積極的であり、そのために北と連携している。資金援助もしているとみられる。特に、中国にとって軍事的にも経済的にも重要な沖縄については積極的だ」
公安調査庁は17年の年次報告書「内外情勢の回顧と展望」の中で、すでに以下のような報告を行い、警鐘を鳴らしている。
〈「琉球帰属未定論」を提起し、沖縄での世論形成を図る中国人民日報系紙「環球時報」(8月12日付け)は、「琉球の帰属は未定、琉球を沖縄と呼んではならない」と題する論文を掲載し、「米国は、琉球の施政権を日本に引き渡しただけで、琉球の帰属は未定である。我々は長期間、琉球を沖縄と呼んできたが、この呼称は、我々が琉球の主権が日本にあることを暗に認めているのに等しく、使用すべきでない」などと主張した。既に、中国国内では、「琉球帰属未定論」に関心を持つ大学やシンクタンクが中心となって、「琉球独立」を標ぼうする我が国の団体関係者などとの学術交流を進め、関係を深めている。こうした交流の背後には、沖縄で、中国に有利な世論を形成し、日本国内の分断を図る戦略的な狙いが潜んでいるものとみられ、今後の沖縄に対する中国の動向には注意を要する〉
中国、北朝鮮による沖縄などへの工作は、現在なお継続中だという。
中朝両国の連携活動は「沖縄独立」だけにとどまらない。前出の公安関係者は、別の情報工作についても言及した。
「教科書検定の過程でも中朝のジョイントがうかがえる。思想や主義・主張に働きかけて自国に有利な状況を作り出そうという点では、沖縄と同様の動きだ」
教科書検定に際し、北朝鮮の日本人エージェントとの関わりが露見したのは、今年6月。「週刊アサヒ芸能」がスクープしている。
韓国の警察当局が脱北者団体の事務所に強制捜査に入った際に押収した文書の中に、その人物の名前が記載されていたことから判明した。エージェントとみられる人物はB。筑波大学を卒業後、同大学助手を経て、韓国・霊山大学の講師に就任したという。この時、韓国内で活動している北朝鮮の工作員にリクルートされたとされる。
その後、Bは日本に戻り、別の大学の講師になった。中国流の共産主義・毛沢東思想を称揚する著作がある学者だという。そのBが、文部科学省の教科書調査官として、来年度から中学校で使われる歴史の教科書の検定に関わっていたことが明らかになった。
そうした中、今回の教科書検定は物議を醸す結果となったのである。合格した教科書の中には、慰安婦問題を取り上げ、〈戦地に設けられた「慰安施設」には、朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)〉と記述したものや、南京大虐殺について〈首都の南京を占領し、その過程で、女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました〉と記したものなどがあったのだ。
これらを踏まえて先の公安関係者が語る。
「調査官の中に北のエージェントとされる人物がいるとなると、そもそも検定が公正なものであったのかどうかは疑わしいが、それ以上に問題なのは、この工作の背後に中国がいるとみられることだ。今回の検定で認められた部分を見れば、自明だろう。もちろん慰安婦問題などは北朝鮮にも関係があるものの、それ以外の比重が大きい。北朝鮮は、日本の戦争犯罪を喧伝することに重点を置いて中国と連携している。目的は、それによって武力行使を牽制することにある。一見、遠回りのように見える工作だが、実は効果的な思想教育だ。これを契機に厭戦的な世論が維持され、さらに次世代にも引き継がれていくことのメリットは大きい。虐殺などの惨事は、世論を平和主義へといざなう。中国はそうした骨抜きを狙っている」
今回のAに対する強制捜査には、こうした背景もあったとみられるが、情報工作自体を立件する法律が日本にはない。それゆえ、公安当局は「もどかしいかぎりだ」と漏らすばかりである。
Aに事の概要を伝えて取材を申し込むと、
「事実誤認がはなはだしく、お応えできかねます。この件に関しては弁護士に一任していますので、そちらに聞いてください」
としたものの、弁護士に連絡すると、「コメントは控えます」とのことであった。Bもこれまで取材に応じず、何ら明らかにしていない。
中国・北朝鮮連合と対峙する公安。スパイを対象とした法律がない現下、公安の苦闘をよそに、工作員たちの暗躍は続く。
(ジャーナリスト・時任兼作)
※「週刊アサヒ芸能」12月17日号より