新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【5】本流を継承した馬場が全日本旗揚げ

 1972年7月29日、ジャイアント馬場は「第1次ビッグ・サマー・シリーズ」開催中に日本プロレスからの独立を発表したが、8月18日の石巻市中央広場での最終戦まで出場した。ポスターに写真と名前が載っている以上、ファンとプロモーターに迷惑はかけられないというプロ意識からだ。

 退団を表明した後の試合は〝何か〟を仕掛けられるリスクもあるが、当時の馬場は、自分の実力に自信を持っていた。ただ追従する轡田友継(サムソン・クツワダ)と佐藤昭夫(現・昭雄)が危険にさらされないように若手のマッチメークを仕切るミツ・ヒライには話をつけたという。

 こうした中、日本プロレス協会会長で衆議院議員の平井義一氏から【1】馬場は9月25日開幕の「第2次ビッグ・サマー・シリーズ」まで日本プロレスに出場、その上で日本プロレスは馬場の独立を認める【2】馬場は来年3月31日まで週1回、NETテレビの「ワールド・プロレスリング」に出演。さすれば日本テレビへの出演も容認するという調停案も出たが、馬場は拒否。

 馬場の独立の意志は固いと判断した日プロは「馬場君が出ていくことが正式に決まったので、9月6日の田園コロシアムでウチの看板タイトルでもあるインターナショナル・ヘビー級王座に大木金太郎を挑戦させる。馬場君が勝ったら、そのままベルトを持っていって構わない」と発表したが、馬場は「ではベルトは返上します」と、あっさりと至宝を手放した。

 馬場はトラブルを起こすことなく穏便に新団体を旗揚げしたかった。そして退団する際には「もし、日プロが潰れたら、俺の新団体が受け皿になるから」と、選手会に2000万円を置いていった。

 日プロの引き止め工作を振り切った馬場は、9月9日に団体名を「全日本プロレス株式会社」にすることとし、同月18日には旗揚げ「ジャイアント・シリーズ」の日程と参加選手を発表。日本陣営は轡田、佐藤、アメリカ修行中のマシオ駒、大熊元司、元日プロの藤井誠之、さらに国際プロレスからサンダー杉山が円満移籍し、国際からは他に若手選手も貸し出されることも明かされた。

 注目の外国人選手は元WWWF(現WWE)世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノ、テリー・ファンク、フレッド・ブラッシー、ダッチ・サベージ、ドン・デヌーチ、ジェリー・コザックの6人。当時のファンなら誰でも知っている豪華な顔触れになった。

 実は海外ルート確保は意外に苦戦した。日プロにも選手を派遣していたロサンゼルスのミスター・モトは「ビジネスだから、両方に選手を送ってもいい」と言っていたが、最終的には断ってきた。テキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリックにも日プロからストップがかかった。

 外国人招聘窓口を開拓したのは大熊と、アマリロでファイトしていた駒だ。駒は同地のプロモーターで当時のNWA世界王者ドリー・ファンク・ジュニアの父でもあるドリー・ファンク・シニアに気に入られていて、馬場の新団体の話をすると「俺が選手を送ってやろう。NWAのメンバーに入れてやるからって馬場に言え」と、外国人ブッカーを買って出てくれたのだ。

 シニアはアマリロ地区の番頭格のコザック、シリーズ前半戦に次男テリー、そして自らシリーズ後半戦に参加。馬場の親友のサンマルチノはマット界の事情に関係なく、弟分のデヌーチを帯同した。ブラッシーも馬場にとっては力道山時代からの旧知の仲だし、サベージはカナダ・バンクーバー地区を仕切る元NWA世界王者ジン・キニスキーの懐刀。キニスキーが全日本をリサーチするために送り込んだと考えていい。

 10月16日には力道山家が全日本に全面協力することを表明し、力道山の長男・百田義浩がリング・アナウンサー、次男・光雄がレスラーとして参加することが発表され、20日のヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)での旗揚げ記念レセプションでは力道山家から力道山所縁のチャンピオンベルト(インターナショナル2代目のベルト)が寄贈された。日本テレビの小林與三次社長の「力道山が創った本流のプロレスを馬場が継承し、それを放映する」という理想の形になったのである。

 翌21日に町田市体育館で旗揚げ前夜祭。これは土曜日夜8時に生中継するための大会で、本旗揚げは翌22日の日大講堂。力道山家から寄贈されたベルトを「世界の強豪5人を倒したら巻く」とした馬場はメインイベントでサンマルチノと王座争奪第1戦を敢行。1-1からダブル・フォールの引き分けに終わったが、スケールの大きなアメリカン・プロレスでファンを魅了した。馬場の独立と全日本旗揚げについて、猪木は「途中で馬場さんが俺を裏切り、俺だけ悪者にされてしまったが、俺が昨年やろうとしたことの正しさを馬場さんが証明した。問題の本質は日本プロレス腐敗にある」と語った。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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