プロ野球選手にとって、素直さは時に短所にもなるようだ。
巨人・秋季キャンプは、野手陣のキャプテンを務めた岡本和真の一本締めで終了した。原辰徳監督はいつも以上にブルペンに足を運んでいたが、その気持ちは分からないでもない。チームの勝ち頭である山口俊が米球界に挑戦。フリーエージェント交渉では、美馬学投手の争奪戦にも敗れた。「先発ローテーションの一角を託せる若手の台頭」に期待していたからだろう。
「来季3年目を迎える鍬原拓也にサイドスロー転向を勧めたのも、その一環です」(スポーツ紙記者)
鍬原は中学時代までサイドスローだったという。ソフトバンクとの練習試合では1イニングだが、パーフェクトに抑え込んでおり、本人もそれなりに手応えを感じているようだ。
「サイドスロー投手の映像を集め、オフの間もいろいろと研究をするようです」(同前)
その素直さ、研究熱心ぶりが鍬原の長所でもあるが、その反面、危険も秘めている。というのも、原監督がサイドスローを進言したのが11月10日。ブルペンで直接話し掛けられたのだが、そのちょうど一週間前、鍬原は菅野智之とキャッチボールをし、スライダーの握り方についてアドバイスを受けていた。そのとき、鍬原は「ストレートと同じ軌道から曲がらないとダメだ」とする菅野の助言に頷き、これまでの握り方を捨てた。しかし、
「いや、今年の春季キャンプで岩隈久志にスライダーの握り方を直されていたんです。曲がり幅が大きくなったと喜んでいたのですが…」(球界関係者)
岩隈、菅野、そして原監督。菅野にスライダーの修正をされたときはオーバースローだった。スライダーの練習をしていたところに原監督がサイドスロー転向を勧めたので、秋季キャンプ入り直後から積み重ねてきたものが”無駄”になってしまったわけだ。
次々に声を掛けられるのは周囲が一目を置いている証拠。だが、結果的に遠回りさせているのでは?という疑問も浮かぶ。サイドスローの映像研究もけっこうだが、元ドライチ・鍬原は周囲の言葉に惑わされず、一刻も早く「自分」というものを確立させなければならない。
(スポーツライター・飯山満)