前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~「貧乏」公務員~

 1990年代半ば、外務省中国課首席事務官の頃だった。30代半ばの働き盛り。残業時間は毎月150時間前後の日々。忙しいながらも充実していた。

 ある夜というか早朝、残業帰りのタクシーに何人かで箱乗りし、目黒区東山の公務員住宅群で同僚の一人を降ろした。すると一時停車してアイドリングしているエンジン音とかぶさるように聞こえてきたのは、「カチカチ、カチカチ」という乾いた金属音だった。

 帰宅した役人連中が官舎の風呂のガス栓をひねる音が、方々から重なって聞こえてきたのだ。

 同乗していた若手の中国課員が冗談交じりに発した一言が私の苦笑を誘った。

「山上首席、貧乏って嫌ですね」

 そう、これが公務員生活の実態だ。

 東大法学部を卒業した人間のエリートコースだと信じて歩み始めたものの、給与は同級生の中でも最下層。そののち身に染みて悟ったが、公務員の給料では子供2人を私学に送るのは実家の支援なくして不可能という事実だった。

 天現寺、下馬など通勤に便利な場所にはあったものの、絶句するほどレトロで安普請の独身寮や家族住宅は、それでも世間から「贅沢」と指弾されて次々に売りに出された。その結果、緊急時の出勤、残業後の帰宅にも遥かに時間と労力を要するようになった。

 最大の問題は官民の給与格差だ。1980年代半ばに就職する頃は大手銀行や商社からは「うちに来れば給与は2倍だぞ」と言われていたが、今や新卒の年収で3~4倍に開いているのが実態だ。生涯賃金になると比較の域を超える。

 役所の次官はせいぜい年収2500万円前後だが、今や某大手商社では、社長の年収は6億円を上回る。駐豪大使時代に聞いた話では、あるエネルギー会社では役員レベルでも年収4000万円を確保するよう待遇を設定しているそうだ。

 こんな話をすると、「中小企業は苦労している」という批判が寄せられるものだ。だが、主要官庁に行くような人間は官庁か大企業かという選択肢に接して官庁を選んでいるのであり、単純にそこを比較しているのである。外資系に進めば、さらに差が拡がる。

 果たしてこんな待遇で一線級の人材を引き留められるのか?これこそが問われるべきだ。大企業はおろか、700余名もいる国会議員と比べても幹部公務員の待遇が見劣りするのは明白だ。

 さらに、役所の人気を落としてきたのは勤務環境の劣悪さだろう。金融庁や文科省など、建て替えが成功した一部の官庁は例外として、補修だけに終わった外務、財務、農水などの古びた汚れぶりは、「ノーブレス・オブリージュ」などという勇ましい掛け声に代わって「ワーク・ライフ・バランス」を求める世代に歓迎されるわけもない。

 政治家だけでなく、メディアや有権者も「政治主導」を唱える中にあって、官僚の仕事のやり甲斐こそが最重要である。そして、自らのプライドと世間のリスペクトを回復することこそ、必須だ。しかしながら、それらと並んで重要なのが待遇であることも間違いなかろう。今のままでは、やがて一線級の人材は霞が関に来なくなる。否、既にそうしたトレンドが確実に霞が関を蝕んでいる。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)等がある。

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