福田和子はなぜ「痛恨のミス」を犯したのか/犯罪史に刻まれた「事件の女」ファイル(1)

 犯罪を引き起こす男女比は、67%、32%と圧倒的に男が多い。こと凶悪犯罪となればその傾向はさらに顕著となる。見方を変えれば、凶悪犯罪に加担した女ほど印象深いとも言える。「シリーズ昭和」第14弾は昭和史に黒く刻まれた「事件の女」たちをプレイバック!

 実際に起きた事件をもとに映画などが作られるケースは多々あるが、女性が起こした事件で、最も頻繁に映像化されたものと言えば「松山ホステス殺害事件」の犯人・福田和子が真っ先に思い当たる。

 作家の亀和田武氏が事件を述懐する。

「まるで松本清張が描くミステリー小説にありそうな事件でした。逃亡犯となり、途中、整形手術を施し、あと21日で時効を迎えるところで捕まるドラマチックな展開だった」

 その特異なキャラクターに魅了されたのは、大阪・千日前でスナック「与太話」を経営する、プロレス・リングアナのマグナム北斗氏だ。

「福田和子みたいな女性、意外と飲み屋でモテたりするのよ。今のアイドルオタクが好きそうな『俺でもいけそう』と感じさせるルックス。そうクラスの3番目ぐらいかな。昔の中学校は1学年10クラスあったわけやから学年で30位ぐらい。中程度でお手頃、しかも世話好き。東京に整形しに行ったよね。保険診療ちゃうから、ちょっと多めに払えばやってくれるのかも」

〝7つの顔を持つ女〟と呼ばれた福田は金沢に潜伏中、愛媛に残した交際相手に電話をかけていた。逆探知を警戒し「危ない、危ない」と発した肉声テープは、当時、あまりにも有名だった。

 福田はすでに男宅に警察が来ていると想定、念のため電話はわざわざ関西まで出かけてかけていた。社会部デスクが振り返る。

「公衆電話は距離によって料金が変わる。警察は公衆電話の10円玉が落ちる音に注目し、潜伏場所を割り出していたんです。福田は悪知恵が働いた。郵便物はすべて関西から出していたので警察は関西に潜伏していると思い込み、金沢まで捜査は及ばなかった」

 福田は金沢のスナックで客として訪れた和菓子屋の若旦那に目をつけて、内妻として潜り込み、店を手伝うことに。

 さらに息子を金沢まで呼び寄せている。若旦那の家族には「親戚の子。お菓子作りを仕込んでやってくれませんか?」と紹介し、見習いとして働かせたのだ。

「通報されたと気づいてチャリンコで逃げるでしょ? あれ、長い逃亡歴で培われた皮膚感覚でわかるんだろうな。寂しかったのかもしれないが、さすがに子供まで呼び寄せたらバレる。それで懲りたのか、その後は1つの場所に長居しなくなった。温泉街は人手が足りないから住み込みで働くとなれば、手癖が悪くない限り雇ってくれる。大きいホテルは会社組織だから身分をはっきりさせないと厳しいが、個人経営だったらいけた」(マグナム氏)

 88年から96年の8年間、場所も北海道から山口県まで15カ所、職を変え名も変え、転々とした。時効まであと1年となったところで福田は福井に現れる。この頃、愛媛県警は日本初の懸賞金をかけ、しらみつぶしに足取りを追い、ついに福田の悪運も尽き果てたのだ。

「よくも悪くも並の人間じゃない、ふてぶてしさを感じますね。最後に捕まった福井のおでん屋では常連になるという痛恨のミスを犯している。根拠なくここは危なくないと信じてしまったのか。同じく逃亡犯で、新左翼過激派の桐島聡も、最後は安い賃金で身分証明書がなくても雇ってくれるところで働いていた。『ウチダヒロシ』と名乗り、行きつけの店では『うーやん』と呼ばれていた。どこかで寂しくなってしまうんでしょうね」(亀和田氏)

 果たして、常に背後を気にする薄暗い逃亡生活に疲れ切っていたのだろうか。

(つづく)

【昭和史に刻まれた「事件の女」】

福田和子:82年、福田は同僚だったナンバー1ホステスを殺害。預金通帳と印鑑、現金を持ち出し、全国を転々と約15年に及び逃亡。金沢に潜伏した際、老舗和菓子屋の事実上の後妻に収まっていた。当時小学生だった松井秀喜は客として菓子を購入。後に「きれいで優しいおばさんという印象」と語っている

筒見待子:会員制登録機関「愛人バンク」と銘打った愛人紹介業者・夕ぐれ族が発足。22歳(実は25歳)の社長・筒見は、「夕ぐれ族」と書かれたTシャツを着用し、「笑っていいとも!」や「トゥナイト」などに登場。連日、広告塔としてテレビや週刊誌をにぎわしていたが、翌年、売春防止法違反で摘発された

花柳幻舟:家元制度に反対し、日本舞踊・花柳流家元・花柳壽輔を刃物で襲う。懲役8カ月の実刑判決を受け栃木刑務所で服役した。さらに、90年には天皇陛下の「即位の礼」パレードで爆竹を投げて逮捕。19年、群馬県安中市の通称・めがね橋下の歩道で死亡しているのが発見された

矢沢美智子:81年、三浦和義・一美夫妻がロス旅行中、妻が頭部を鈍器で殴打されて軽傷を負う。後に、三浦と交際していた矢沢が「1500万円のカネと結婚してやるからという言葉で頼みに乗った」と、一美さん傷害事件における犯行を告白。殴打事件では、矢沢に懲役2年6カ月、三浦には懲役6年が確定した

岡崎聡子:モントリオールオリンピック体操日本代表。ケガによる引退後はタレントとして活動したが、95年の大麻所持による逮捕を皮切りに、覚醒剤使用などでたびたび再逮捕された。一部で通算14回目の逮捕と報道されるが、もはや誰も正式な回数をカウントしていない

榎本三恵子:田中角栄元首相の筆頭秘書・榎本敏夫の元妻。検察側証人として出廷、「榎本被告が5億円受け取りを認めた」と発言。証言した動機を「ハチは一度刺したら死ぬ。私もその覚悟」と説明して話題になった。雑誌「ペントハウス」グラビアで全脱ぎを披露、タレントに転身した

倉田まり子:「フライデー」が創刊号で株式の売買をめぐる大規模な詐欺事件を起こしていた投資ジャーナル会長・中江滋樹と倉田まり子の親密写真を掲載。目黒の豪邸をプレゼントと報道され、芸能界引退に追い込まれた。実際にはプレゼントではなく、7000万円を無利子で借り入れ、豪邸を建設していた

小林カウ:栃木・塩原にあった「ホテル日本閣」の経営者夫婦と元夫の男女3人を殺害し、日本初の女性で死刑判決、死刑執行された殺人犯。事件発覚から23年後の84年、吉永小百合主演の「天国の駅 HEAVEN STATION」で映画化。小林カウをモデルとした汚れ役を清純派の吉永が演じて話題騒然となった

伊藤素子:81年に発生した「三和銀行オンライン詐欺事件」。三和銀行茨木支店に勤めていた銀行員・伊藤は、オンライン端末を操作して架空の口座を作成、そこに合計1億8000万円を不正に送金した日本初のオンラインシステム横領事件。その一部を共犯の恋人で元俳優・南敏之に渡しマニラに逃亡するも逮捕された

永田洋子:新左翼活動家、連合赤軍中央委員会副委員長。71年から72年にかけて起きた連合赤軍が群馬県の山中に設置したアジトで起こした同志に対する12名リンチ殺人「山岳ベース事件」を主導。93年、最高裁判所で死刑が確定。11年、東京拘置所で脳萎縮、誤嚥性肺炎のため65歳で獄死

重信房子:70年代に中東アラブを拠点に活動。ハイジャックや大使館占拠事件を起こした日本赤軍の元最高幹部。日本赤軍はテルアビブ空港乱射事件(72年)、在マレーシア米大使館を占拠したクアラルンプール事件(75年)など数々の事件を起こした国際テロ組織とされている。ジャーナリストの重信メイは実娘

大道寺あや子:東アジア反日武装戦線のメンバー。74年の三菱重工爆破事件では時限爆弾の見張り役を担当。75年に逮捕されるが、日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件で政府による「超法規的措置」を受けて釈放。アルジェリアに逃亡した。海外逃亡のため時効は停止、現在も国際指名手配中

宮崎知子:富山・長野連続女性誘拐殺人事件の犯人。富山で女子高生を誘拐して絞殺、死体を山中に遺棄。長野では女性会社員を絞殺して死体を遺棄し、身代金を要求した。犯行動機は愛人と作った会社の運転資金を手に入れるためとされている。犯行現場では赤いフェアレディZの目撃情報。98年に死刑が確定している

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