その桐島が所属していた東アジア反日武装戦線の同志、大道寺あや子はいまだ国際手配中の身だ。
「三菱重工爆破事件を起こした夫・大道寺将司には死刑判決が出されています。明文化はされてませんが、政治犯で死刑判決が出ると執行しないんですよ。政治犯の場合、報復を恐れて執行しないことが多いし、どこの拘置所に収容されているかも隠していたりする。永田洋子や大道寺も死刑執行前に獄中で死亡しました」(作家の亀和田武氏)
00年11月、日本赤軍の重信房子が大阪で逮捕された。容疑は、日本赤軍によるフランス大使館立て籠もり・人質事件、いわゆるハーグ事件(74年)での逮捕監禁罪と殺人未遂だ。懲役20年の判決で服役した重信は刑期満了で22年5月に出所した。前出・亀和田氏は68年の秋、明大のバリケードで重信に遭遇したという。
「僕は予備校浪人2年目。僕らの仲間にも学生運動に出入りしている奴がいたんで、2つの浪人グループが月に2回くらい学生たちと打ち合わせ会議をやってました。打ち合わせを終えてロビーにいたら、赤いヘルメットをかぶった陽気な感じのお姉さんが男の学生にテキパキと指示してるんです。『さすが明大、女子学生なのにリーダー格がいるんだ』と思ってたら『君たち浪人生なの? 慶応や早稲田もいいけど、明治の2部ってのも結構居心地いいんだよ。もしよかったら受けてごらん』と親しげに話しかけてきた、これが重信だったんです。当時の人によれば『気さくだったから。ファンは多かった』みたい。映画監督の若松孝二監督や足立正生監督にもかわいがられる存在だった」
後に世を震撼させたテロリストとは思えない、ありし日のチャーミングな重信との邂逅を果たした亀和田氏は続ける。
「視野の狭い永田洋子とは真逆なタイプ。狭い日本にいるよりもワールドワイドにパレスチナゲリラと一緒にやるか、という発想でね。彼女のキャラクターもあったのでしょう。だから山岳ベース事件のような陰惨なことにはならないで済んだのかも。懲役を終え出所した際、『昔の仲間はいろんな派に分かれちゃったけど、あの当時、明治にいてブントだった人は来て』と歓迎会をしたみたいです。当時からあった明大裏手の居酒屋に30人ぐらい集まったとか」
武力行使で「世界革命」を実現する壮大な計画は、見果てぬ夢で潰えた。
(つづく)