曙さんが激高したシーンも 「元婚約者」相原勇“逆境と裏切り”の忍従半生

「誰にでも優しく礼儀正しい人柄で、日本人以上に日本人らしかった」

 4月11日に54歳という若さで亡くなった第64代横綱・曙太郎さんを悼む声が尽きない。その曙さんがかつて、カメラの前で珍しく激高したことがあった。17年3月31日放送のバラエティ番組「今夜解禁!ザ・因縁」(TBS系)に出演した時のことだ。

 番組では、互いに恋愛関係を認め結婚間近といわれながら97年に破局したタレントの相原勇と、20年ぶりに顔を合わせた。

「それまで相原は、曙さんから別れを告げられていない、二股をかけられていたなどとインタビューに答えてきましたが、ずっと曙さんは沈黙を貫いていました。それだけに注目されましたが、相原が『どうしてあのとき、きちんと面と向かって言ってくれなかったの?』と問い詰めると、曙さんは表情を変え『俺は“別れる”と伝えたつもりだよ。俺が相撲取れないとき、結婚ばっかり迫られて、なんで励ましてくれないの? そこで気持ちが切れた』と声を荒らげました。主張がぶつかり合い、退席して『ふざけんな、ボケ!』とスタッフにキレる場面もありました」(テレビ誌ライター)

 互いの思いをぶつけ合い、最終的には笑顔で対面を終えたが、芸能関係者はこう話す。

「相原さんの印象があまりよくなかったのが気の毒でしたね。彼女の芸能人生を振り返ると、被害者意識を持ってしまうのも無理はない思いますよ」

 90年代、空前のバンドブームを巻き起こしたオーディション番組「いかすバンド天国」(TBS系)でブレイクした相原だったが、それまでの歩みは苦難と逆境、裏切りの連続だった。

「井森美幸がグランプリを獲得した第9回ホリプロスカウトキャラバン決勝に進出した相原は、ホリプロデビューは叶わなかったものの、同大会を見ていた別の事務所関係者の目に留まり、アイドル歌手として本名でデビューしました。しかし、デビューから2カ月後に事務所が倒産。それでも新曲の発売が決まっていたため約1年間、ノーギャラで全国キャンペーンを強いられることに。その後、事務所を移って再デビューしましたがヒットにま恵まれず、1987年には写真家の篠山紀信氏に口説かれて雑誌『GORO』で全脱ぎの素肌を披露。同誌のサポートが期待されましたが、小さな連載を与えられ編集部の手伝いをさせられるのみで、大きな仕事につながることがなかったばかりか、マッパになって稼いだギャラを当時のマネージャーに持ち脱げされてしまったそうです」(前出・芸能関係者)

 その後、「イカ天」で大ブレイクを果たし、夢だった舞台「ピーターパン」の主人公の座を射止めたが、

「営業的には大成功を収めていましたが、ホリプロ制作の舞台であったこともあり、主人公はやはり自社タレントでという意向から、3年後に降板を告げられたといいます。ホリプロへの移籍の申し出もあったようですが、世話になった事務所への恩義もあり、これを決断できなかったようです」(同)

 曙さんとの交際時も、こんなことがあったという。

「近しい関係者しか知らないようなデート現場や旅行の予定、搭乗便の情報などが、写真誌のカメラマンに流され、先回りされていたことは一度や二度ではなかったとか」(同)

 現在、相原は2度目の結婚相手とともにハワイに在住。ブログで元気な姿を見せているが、3月を最後に更新がストップしている。

(露口正義)

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