永江朗「ベストセラーを読み解く」「背広組」VS「制服組」防衛省内部の確執を描く!

 公安部門の警察官を主人公にした小説は珍しくないが、本作の主人公は防衛省情報本部・情報課長。インテリジェンスの最前線が、臨場感をもって描かれる。

 巻末のプロフィールによると、著者は某県警の外事課に籍を置き、国内外の情報機関の担当者と交流を持った経験があるという。また、警察庁では危機管理を担当したとのこと。警察と自衛隊では所轄官庁も異なるが、組織が異なるからこそ見える、あるいは書けることもある。

 主人公の井上と妻が出勤しようとドアを開けると、ハンバーガーチェーン店の紙袋が置かれている。不審物である。

 井上が警察に通報してパトカーが到着。爆発物の危険性もあるので、マンションの住人には避難が呼びかけられる。厳戒態勢の中、紙袋から出てきたのは人間の耳と血のついた1ドル札。ドル札には人間の眼球が包まれていた。

 これは何のメッセージなのか。耳と眼球の持ち主は誰なのか。

 井上には心当たりがあった。中国の情報機関、国家安全部である。「すべて見ている、知っている」というメッセージだ。

 このショッキングな幕開けから、中国の情報機関と日本の防衛省との熾烈な、しかし世間ではほとんど報じられることのないバトルが描かれる。

 井上の妻は防衛医大病院に勤務する医師だが、彼女と結婚する前、井上には婚約者がいた。しかし、北京市内で交通事故に遭って死去。そして10年後、この事故は国家安全部による計画殺人だということが、在日米軍の情報担当者から伝えられる。婚約者の暗殺と10年後の警告。国家安全部は次にどんな手を打ってくるのか?

 盗聴器を仕掛けられたり、スパイが発覚したり、次々と事件が起きる。元自衛官による元首相の暗殺事件など、現実の事件を想起させるエピソードも出てくる。

 筆者が興味深く読んだのは、防衛省幹部における制服組と背広組の確執である。防衛大学卒業生の制服組と、東大や京大などを出て国家公務員Ⅰ種のキャリア官僚である背広組。大臣官房や防衛政策局などには背広組が配置され、政治色の強い事案を背広組が担当する。これが制服組には面白くない。主人公の井上は制服組である。

 近年、日本政府は安保政策を大きく変えている。典型的なのは、敵基地に対する攻撃能力を有するかどうかという問題だろう。仮に敵国が攻撃してきた場合、日本領土内だけで応戦するのか、それとも敵国まで攻めるのか。従来の日本政府は、敵国内の基地まで攻撃するのは、やりすぎだと考えてきた。それを近年は変えている。ひと言でいえば、アメリカの意向を受けて日本を戦争ができる国にしようというわけだ。

 本書で面白いのは、背広組は安保政策の変更に消極的なのに対し、制服組は積極的に描かれているところ。主人公と敵対する背広組のほうが、筆者には真っ当に見える。

【「防衛のインテリジェンス ある防衛省情報課長の物語」本郷矢吹・著/1760円(ART NEXT)】

永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。

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