藤岡康太騎手が落馬事故により4月10日に亡くなった。まだ35歳という若さだった。子供が昨年生まれ、一緒にお風呂に入るのを楽しみにしていたと聞くと心が痛む。と同時に、騎手という職業が危険を伴った職業であることを改めて痛感させられる。追悼の思いを込めて、彼の軌跡を振り返ってみよう。
父は藤岡健一調教師、兄は佑介騎手という競馬一家の次男として1988年に生まれる。2007年に3つ上の兄の後を追うようにデビュー。初騎乗は中京の3歳未勝利戦だったが、父の管理馬ヤマニンプロローグに騎乗し、いきなり勝利する。また、この日の騎乗数8回は、1996年の福永祐一騎手、1997年の武幸四郎騎手と並ぶ、デビュー時最多騎乗回数タイ記録だった。
その2年後、ジョーカプチーノでファルコンステークス(G3)を勝利し、初重賞制覇を果たす。さらに同馬でNHKマイルカップ(G1)も勝利する。20歳のいう早さで、もちろんこれがG1初勝利。2番手から抜け出してのものだったが、何せ10番人気だっただけにインパクトは強烈だった。さっと好位を取って、馬の行く気に任せたのが良かったのだろう。迷いがなく、きっぷの良さを感じた。
ちなみに、兄の佑介騎手がG1を勝ったのは2018年・NHKマイルカップのケイアイノーテックで、32歳の時だった。期せずして同じレースだったが、G1勝利は康太騎手のほうが9年も早かった。
そして、昨年にはナミュールでマイルチャンピオンシップ(G1)に勝ち、14年ぶり2度目のG1制覇を果たした。その日の2Rで落馬負傷したライアン・ムーア騎手から乗り替わり、最後方から直線鮮やかに抜け出したものだった。勝利インタビューで「他馬に迷惑をかけてしまった」と語っていたのが、今でも印象に残っている。
JRA通算勝利数は803勝(うち重賞は22勝)。年間最多勝利は昨年の63勝で、リーディングのベスト10には一度も入ったことはない。決して超一流ジョッキーとは言えなかったが、人柄が良く多くの人に慕われてきた。そしてなにより、男前でカッコよかった。女性ファンが多いのも頷ける。競馬界を大いに盛り上げてくれた一人だけに、残念でならない。
(競馬ライター・兜志郎)