長生きしたけりゃコレで学べ!復活有名人「俺の闘病記」元プロレスラー・小橋建太(1)絶頂期に突如の「ガン宣告」

 引退から10年が経過し、フィットネスジム経営者となった小橋建太氏(56)。すっかり板についたスーツ姿でも、隆々とした筋肉は隠せない。こんな〝鉄人〟のような男が病魔に襲われ、まさか「闇堕ち」していたとは信じられない!

 それは06年のことだった。この前年、2年にわたって13度も防衛したGHCヘビー級王者から陥落したものの6月4日に本田多聞とのタッグでGHCヘビー級タッグ王者に輝いた。所属していたプロレスリング・ノアどころか、世界中を探しても小橋氏をマットに沈めそうなレスラーは、そういなかった。まさに、その全盛期に突然、ガン宣告されたのだった。

「タッグ王者になって2週間後のことでした。毎年、オフにしているように、体の検査を受けたんです。エコーの後で看護師さんが『え!』と声を上げた。ただ事ではないことが起きたのかと思ったら…」

 案の定、医師から「右腎臓に腫瘍が発見された」と直ちに精密検査に回され、数日後には悪性腫瘍であることが小橋氏本人に告知された。

「頭をバットで殴られたようなショックを受けましたね。ガン=死というイメージがあったので、自分はこれで終わったなと。やっと時代をつかみ、これからという時に、もうプロレスができないのかと落ち込みました」

 帰宅後、当時交際していた歌手のみずき舞さん(10年に結婚)にガンを報告した。みずきさんは1度部屋を出ると、しばらくして戻って来るや、真剣な表情になって、こう言ったという。

「結婚してください」

 逆プロポーズだった。ところが、小橋氏は、

「それまで10年間、付き合ってきて、もちろん結婚するつもりでした。でも、ガンで死んでしまうであろう僕は彼女を幸せにできるわけがない。だから『結婚はできない』としか答えられなかった」

 悲しみに暮れてばかりもいられなかった。翌日、福島でファンイベントのボウリング大会が予定されていたのだ。小橋氏はみずからを奮い立たせた。

「自分さえ元気にしていれば中止にする必要はないと判断して臨みました。でも、常に〝ガン〟の2文字が頭から離れない。それを周りに悟られないように必死でした。いつもエネルギーをくれるファンのみんなに楽しんでほしい、その一心だけで乗り切りました」

 イベント直後、ノア社長の三沢光晴(故人)に報告。絶句する兄貴分と別れると、帰りの車中で弟分の秋山準(54)に電話を入れた。

「電話口で準は泣き出してしまって、電話を切るしかなかった。その時、高速道路を走るフロントガラスから見えた夕焼けがやけにキレイで‥‥」

 今も秋山の声と車窓の景色が忘れられないという。

(つづく)

小橋建太(こばし・けんた)1967年京都府生まれ。87年に全日本プロレスに入門し、96年に三冠ヘビー級王者を戴冠。00年にプロレスリング・ノアに移籍後もGHCヘビー級王座を獲得。無類の強さを発揮した。その最中の06年に腎臓ガンが発覚。546日ぶりに復帰を果たし、現役を引退する13年まで第一線で活躍した。現在は株式会社Fortune KK社長としてジム経営、講演活動、プロレス大会のプロデュースに取り組む。

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