これを受けないと死んじゃうから…。人工透析を終えて取材の席に着いたグレート義太夫(65)はそう言った。心なしか、その声はか細く聞こえた。そして我が糖尿病歴を語り始めると、口にしたのは「あの日に戻れるなら」という後悔だった。まずは「あの日」から振り返ってもらおう。
「親父が糖尿病で死んだ1年後、36歳の夏でした。家で映画を見ていたら、その字幕が読めなくなって、ふらっと倒れたんです」
同居人が呼んだ救急車で病院へ。やたらと喉が渇くなどの自覚症状はあったが、夏バテだと思い込んでいたという。だから点滴を受けただけで、その日は帰宅した。翌日、血液検査を受けるため、再訪した病院で通常は60~110mg /dlの血糖値が、630目前であることを告げられ、そのまま2週間の入院となったのだ。食事制限を含めた生活習慣改善を徹底させるべく、糖尿病患者の教育入院というヤツだった。
「インスリン注射について説明を受けて、『いつまで打てばいいんですか?』と聞くと『一生です』って。死ぬまで? と驚いたのと同時に、親父のことを思い出したんです。糖尿病で腎臓と肝臓の両方がダメになって、医者の宣告どおり2年で逝きましたから」
「ヤバいな」とは思いつつも、退院後は自覚症状が消えたのをいいことに食事に気を遣うこともなくなり、病院からも足が遠のいた。
「行かないと怒られる、怒られるぐらいなら行かないという感じで『ウチじゃ、もう診られない』と2つの病院からサジを投げられました。その頃、カイアポ(南米白イモ)の民間療法をやっている先生に会い、カイアポの皮を粉末にしたものを2年ほど服用していたんです。数値も安定していたんで、『これで病院に行かなくていいかな』と。でも、その先生が突然、カイアポから撤退しちゃって…」
この時、病院に戻っていればよかったが、選択したのはまたもや無頼の生活だった。そんなある日、仕事でケガをして病院に行き、血液検査をしてみると、やはり血糖値は400と高く、糖尿病治療の再開を決意。それでも蓄積した不摂生が炸裂する。06年頃、体が悲鳴を上げたのだ。
「MCの仕事中に声を張ったら、そのまま倒れてしまったんです。東京医大で検査すると、今すぐ人工透析を受けないとマズい体になっていたんです」
慢性腎不全だった。うまく働かない腎臓に代わって、人工的に血液の余計な水分や塩分、老廃物を除去する透析治療が欠かせなくなったのである。人工透析には2種類の方法がある。血液を体外に抜いて機械を通してキレイにした上で体内に戻す血液透析。もう1つが腹膜透析で、カテーテルを通じて体内に透析液を注入して血液を浄化する方法がある。後者の方が短時間で済むのだが、その時、師匠のビートたけし(77)や「たけし軍団」の兄弟子たちの顔が浮かんだという。
「常にお腹からカテーテルの管が出ているから師匠もお兄さんたちもイタズラするだろうなって。だって(井手)らっきょちゃんが喘息で入院中、酸素マスクをつけて寝ているところに師匠は吸入口からタバコの煙を入れたんですよ(笑)」
(つづく)
グレート義太夫(ぐれーと・ぎだゆう)1958年東京生まれ。ビートたけしのバックバンドメンバーから「たけし軍団」に加入。以後、数多くのバラエティー番組に出演する。一方で蜷川幸雄演出の舞台で重宝されるなど多方面で活躍。そんな中、95年に糖尿病と診断され、07年からは人工透析治療を続けている。現在もボーイズ・バラエティー協会にも所属し、浅草フランス座演芸場「東洋館」の舞台に定期出演している。