これも、対ウクライナ戦争長期化を睨んだ、プーチンの政策の一環なのか。ロシアでは数十年前から中絶が合法とされてきたが、ウクライナ侵攻開始以降、ロシア正教会を中心にした宗教的保守派による中絶反対の声が急激に高まっているというのだ。
ロシアの現状に詳しいジャーナリストが解説する。
「ロシアは1920年、旧ソ連時代に社会主義政権が樹立した直後、男女平等という旗印のもと、世界で初めて中絶を合法化した国で、その後スターリン政権下では20年ほど禁止されたものの、復活後は多くのロシア女性たちが妊娠中絶手術を受けています。中絶が女性の権利として認識され、ソ連時代は中絶手術が無料だったことも後押ししていました。政府の統計によれば、ソ連時代の65年には中絶手術を受ける女性は550万人以上で、95年の統計でも280万人。14年には相当減少したものの、それでも年間約93万人が中絶手術を受けており、出生数に対する割合は5割を超えます。これだけでも、ロシアの中絶率が極端に高いことがわかるはずです」
ところが、人口減少が急速に進み始めたことで、ロシアでも少子化が深刻な問題になってきた。むろんそれだけが少子化の原因ではないものの、中絶が国家の存続問題になっているとして、しだいに国内でも「中絶反対」の声が高まりつつある中、勃発したのがウクライナ侵攻だった。
「つまり、『胎児殺しは断じて許されない』と主張する中絶反対派は、この戦争によって大義名分を得たわけです。プーチン大統領としても将来に備えて、兵士になる男性は確保しておきたい。そんな両者の思惑によって、政府系病院ではすでに規制が導入されたところもあり、今後は全面的な中絶禁止に向けた動きがあるかもしれません」(同)
実際、ロシア各地ではロシア正教会や保健当局が、地元の民間クリニックに働きかけ、中絶を規制しようとする動きが相次いでいるという。
「なかには中絶を回避させた医師に報奨金を支給する地域もあります。一方、昨年12月には、飛び地のカリーニングラード州議会が中絶を勧めることなどを禁止する法案を可決しました。この法案に違反した市民には最高5000ルーブル(約7800円)、公務員には同2万ルーブル、法人には同5万ルーブルの罰金が科されることになり、政府系病院を運営する保健当局は政府の方針に基づき、女性たちに中絶を思い留まらせるよう指導していくとのこと」(同)
とはいえ、一昨年行われたロシアの世論調査では、ロシア人の72%が中絶禁止に反対しているという現実がある。
「民間クリニックでの中絶が禁止されれば、中絶薬の闇市場が拡大し、違法な中絶処置が広がる危険をはらんでいます。プーチン政権がどこまで先を見通して中絶禁止を推進しているのかはわかりませんが、本格的な規制施行までには問題山積しています」(同)
戦死者が急増し、男性の寿命に関する話題がタブーとされるこの国で、再び高まり始めた中絶反対の機運に、市民から戸惑いの声が上がっている。
(灯倫太郎)