1982年から放送された「笑っていいとも!」(フジテレビ系)で初代いいとも青年隊に抜擢された久保田篤(62)。芸能活動の傍ら、パチンコで財産を築き上げて、今や「マンション久保田」と呼ばれるまでに─。
「先日、旅打ちの仕事で新潟に行ったらエヴァ(新世紀エヴァンゲリオン〜未来への咆哮〜)で4万発出ちゃってね。どこもエヴァのシマは混んでるけど、通常絵柄で当たった後に100回の電サポがあるし、勝ちやすさでは別格ですよ。長野とか石川とかいろいろ回りましたけど、相性がいいのは郡山(福島県)。撮影スタッフがいるから、比較的空いているユニコーン(Pフィーバー機動戦士ガンダムユニコーン)とか海物語を打つんですけど、まだ1回も負けていません」
円安不況などどこ吹く風。現役パチンカーの久保田は現在、大分県と埼玉県の二拠点生活を送りながら、全国を股にかけて稼ぎまくっていた。
「実はこれまで買ったマンションは3戸。全てパチンコの〝戦利品〟ですよ。そのひとつを売却して、大分県別府市に温泉付きのマンションを購入したのが12年ほど前。おふくろが足を悪くしたのがきっかけだったんですが、毎日温泉に入ってるせいか、今はもう元気すぎるくらいに歩き回ってますよ(笑)」
妻と実の母を連れて移り住んだ大分。そこでもしっかり〝仕事〟に打ち込んだ。
「大分はどのホールも釘が甘くてね。でも最近は不況の影響もあって、うまく立ち回らないと勝てなくなりましたよ」
やはり、やみくもに打って勝てるものではないようで、
「狙い目は偶数月の半ば。メインのお客さんはおじいさんやおばあさんだから、年金支給日の15日の前って、釘が甘めになりがちなんです」
そんな久保田が振り返るのは、多忙を極めたいいとも青年隊時代。意外にも、当時からパチンコは生活の一部だったという。
「週末は営業の仕事がバンバン入ってきたので、パチンコに行くのはたいてい『いいとも』の収録終わり。マコト(野々村真)を連れて毎日のように赤坂のパチンコへ行きましたよ。ダイマツとかキクヤとか‥‥懐かしいなぁ。昼過ぎに行くとハネモノの『開放台』があって助けられました。というのも、当時は給料制で月給15万円。東京での暮らしはキツキツで、借金も増えていく一方。パチンコをしなければ食べていけなかったんです」
85年3月をもって「いいとも」のレギュラーを卒業すると、ますますパチンコにのめり込んでいった。
「パチンコに本腰を入れてからは貯金もできました。よく覚えている機種は三洋のニューロードスター。3回権利モノで1回当たれば6000発ですよ。重要なのはやはり釘。大きな声じゃ言えないけど、高校時代から毎日のように通いつめてましたから(笑)。釘が読めれば回る台に座れるし、当たりを引くまでの初期投資が低く抑えられる。これが40年以上続けている必勝法ですかね」
近年は規制による人気機種の撤去などで「パチンコ離れ」が叫ばれている。
「今はパチンコ業界も大変。電気代だって上がっているし、昔のような2回ループ機でも復活させない限り、業界は廃れていくばかりですよ」
それでも、久保田はこの夏こそ勝負時と見る。
「この8月から順次導入される新台では三洋の海物語シリーズに注目しています。沖縄5(Pスーパー海物語 IN 沖縄5 夜桜超旋風)は、従来の『海』にはない画期的な仕掛けがあって大爆発が期待できそう。同じく甘デジタイプのPA海物語は、魚群リーチが外れた直後など、意外なタイミングで時短に突入するようで、今から打つのが楽しみですよ」
この夏も確変のビッグウェーブに乗れば、4戸目のマンション購入は近い!?