「慶應三田会」強大パワー(2)「ラーメン二郎」立ち退き危機にも動いた

 とりわけ日本の経済界に広く深く行き渡る〝三田会パワー〟を端的に示すのが、社長の多さだ。

 数だけでは、日大の約2万6000人が最多で、2位の慶應は約1万600人弱と後れを取るが、そこは最強学閥の慶應、これを上場企業に限った場合、約4000社ある上場企業のうち、320を超える企業のトップが慶應出身者。最近、社長から会長となったトヨタの豊田章男氏をはじめ、第一生命HDの稲垣精二会長、三井物産の堀健一社長など、日本を代表する企業のトップを三田会人脈が占めている。非上場でも、サントリーHDの佐治信忠会長と新浪剛史社長、ロッテHDの玉塚元一社長などズラリ。実に多士済々なのだ。

 そして実際、「三田会」人脈で現実のビジネスも動いているという。

「最大の特徴は、『企業三田会』が強いこと。学校の創立者である福澤諭吉と関係の深い三菱・三井グループは、系列企業内で三田会が一大勢力を築いています。有名なところでは、三越と伊勢丹の統合の背後に双方の『三田会』が親密だったこと。当時、不振が続く三越が統合後にお荷物扱いされる懸念があるのを払拭できたのも、伊勢丹の武藤信一社長(当時)が慶應OBで、『三田会』を通じて安心感があったからと言われています」(田中氏)

 また、情報と人脈がモノを言う不動産業界では、「三田会」同士という信頼感からか、取り引きの情報交換が行われ、話が決まると例会で「成約報告」がなされるのが常だという。何百億円もの金が動く都内の再開発などの土地取引も、元をたどれば「三田会」内で決まった話もあると言われるほどなのだ。

 この組織の実力が、意外なところで発揮されたのが「ラーメン二郎クライシス」だった。

「ラーメン二郎は、かつて目黒区の東京都立大学の近くにあり、当時から学生が通う店として人気が高かった。その後、三田に移転したが、90年代半ばに道路工事の関係で立ち退かなければならなくなり、閉店の危機に見舞われたことがあったんです。創業者の山田拓美さんは、それを機に店を畳むつもりだったんですが、特に熱心だった柔道部とその三田会組織『三田柔友会』を中心に存続運動が行われた。そして、三田会の人間が探し出した慶應三田キャンパスの正面近くの物件で営業を再開することが決まって、今に至るというわけです」(田中氏)

 今や全国に熱狂的信者〝ジロリアン〟を生み出すほど人気の「ラーメン二郎」だが、これがなければラーメン業界での天下布武はかなわなかったかもしれない。「慶應ボーイ」マシマシ、ネットワーク力こそが「三田会パワー」の源泉なのだ。

*「週刊アサヒ芸能」9月14日号掲載

ライフ