【元ヤクザ異色対談】司法書士・甲村柳市×弁護士・諸橋仁智(2)去年、クルマを買えなかった

諸橋 僕は子供の頃は勉強ができたのに大学受験に失敗して、「自分はダメな人間だ」と挫折を味わい、シャブに手を出した。そこからヤクザになったわけですが、結果的にシャブに溺れて破門され、ヤクザ組織にも居場所がなくなった。僕なんかと違って、甲村先生は中学生の頃から喧嘩で鳴らし、不良のど真ん中というか、ヤクザとしては王道を歩んでいますね。

甲村 王道って言っていいのかな(笑)。ただ、ヤクザとして生きてきたことに何一つ後悔はしていないですよ。だから、メディアに「心を入れ替えて」と書かれると違和感しかない。

─でも、暴排条例で離脱後5年間は「暴力団関係者」と規定されるなど、一般社会では「元ヤクザ」という経歴は足を引っ張ることが多いようですが‥‥。

甲村 諸橋先生は本の中で司法修習の時と弁護士会登録時に経歴が問題になったと書かれていたけど、僕の場合はスムーズだった。最後に出所した11年に宅建に合格して、13年に行政書士試験に受かり、その翌年から開業。自分でも言うのもおかしいけど、それなりに社会的信用が得られたと思っていたけど、実は去年、クルマが買えなかった。欲しかったクルマを数年間探していて、やっと都内のディーラーで見つけた。現金で支払うことまで決まっていたのに、最後の最後で急に「お売りできません」と。向こうも理由をハッキリ言わないので、「ワシのことをネットで調べたんか?」と聞いたら、「おっしゃるとおりです」と答えるもんだから、「ほならもうええわ」と言うしかないですよ。

諸橋 僕も4年前に住宅ローンを組む時に同じ問題に直面しました。仮審査はすんなり通ったのに、本審査がなかなか通らなかったんです。不動産屋には「警察から反社チェックの答えが返ってこないらしくて、おかしいですね。同姓同名の暴力団員がいるのか」と言われてしまって。当時は元ヤクザとは公言していないから、僕も冷や汗をかきながら「ヘンですよねぇ」と答えるしかなかった(笑)。最終的に1週間ほど待たされて審査は通ったんですが、これは警察庁の暴力団員のリストに僕の名前が残っているなと。だから、文書で質問しましたよ、警察庁に。すると、電話で「文書で回答はできないけど、あなたのデータはない」と言われましたが、なぜ審査が長引いたのか、今も謎です。

─金融機関は厳しいんでしょうか。最近も水戸地裁で離脱から5年経過しても預金口座を作れない元ヤクザが銀行を訴えました。

甲村 5年どころか10年経っても銀行口座が作れないなんて相談も来ますよ。

諸橋 僕のところも相談は多いです。融資や証券口座開設には金融機関が警察に反社かどうかを照会する仕組みができているんですが、預金口座開設には、その仕組みはない。一方で民法には「契約自由の原則」があって、金融機関は独自の判断で契約するかどうかを決められる。水戸で銀行を訴えた方は、平等侵害だと主張しても、銀行が元ヤクザだから口座を作らせなかったのかどうかを立証する必要がある。これは意外とハードルが高いです。

甲村 難しいでしょうね。契約自由の原則からいえば、僕のクルマのケースみたいにネットで調べただけでも契約しないことができるわけですからね。だから、口座開設の相談が来た時は、暴追センターに行くよう勧めています。僕の地元、岡山の暴追センターは積極的に取り組んでいると聞いてますし、そもそも警察が作ったルールなんだから、まず警察が解決しなくてはいかんでしょう。

諸橋 そのとおりです。警察は暴力団員のデータを、きちんと更新して、正しく運用しなくてはダメです。

諸橋仁智(もろはし・よしとも)1976年福島県生まれ。県内有数の進学校に入学したが大学受験に失敗、浪人中に覚醒剤に手を出し、2浪の末に大学に入るもヤクザの道へ。その後も覚醒剤使用を続け、精神病院の強制入院や逮捕を経験。組からも破門される。猛勉強の末に13年に司法試験に合格する。「元ヤクザ弁護士 ヤクザのバッジを外して、弁護士バッジをつけました」(彩図社)を刊行

甲村柳市(こうむら・りゅういち)1972年岡山県生まれ。21歳頃に五代目山口組の三次団体・義竜会を率いていた竹垣悟会長の盃を受ける。05年の義竜会解散を機に引退後に公務執行妨害罪で逮捕され、収監中に独居房で試験勉強をスタート。出所後も勉強を続けて宅建、行政書士試験は一発合格を果たし、司法書士試験には18年に合格。著書に「元ヤクザ、司法書士への道」(集英社)がある

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