業界関係者が語る。
「上岡さんは10年ほど前、かなり大きな手術をされたそうです。病院嫌いが災いして、診察した際にはかなり病が進行していたとか。退院後は体が思うように動かず、マラソンやゴルフからも遠のいてしまった。見た目にも、その頃から一気に老け込んでしまった」
スポーツは断念したものの、みずからを「プロの客」と称した上岡は、頻繁に劇場へと足を運んだ。
「親しくしていた芸人の舞台に顔を出し、頼まれれば舞台に上がって挨拶をすることも何度かありました」(在阪芸能記者)
特に目をかけていたのが、16年に交通事故で亡くなった9歳下の漫談家・テント(享年65)だ。
「上岡さんはいつもお忍びで来られて、入り口で無料の関係者席をすすめられても、『僕は一般人ですから』と自腹で弟子の舞台をチェックしていました。テントさんが数十人規模のライブを開催した時のこと。会場に椅子はなく、畳の上で座布団に座るような客席だったのですが、上岡さんは目の前で熱演するテントさんを満足そうに見ておられました。テントさんは、上岡さんの存在に気づいてうれしくなったのか、会場の壁に上機嫌でイラスト付きのサインをされていたのを今も覚えています」(在阪芸能記者)
弟子を寵愛する一方で、「確執」が囁かれた人物もいた。漫画トリオでともにツッコミを務めた二代目・横山フックこと青芝フック(85)だ。
「トリオが解散したのは68年ですが、それ以降、2人がテレビで共演することはほとんどなかった。上岡さんは冗談交じりに『僕は解散を1カ月前に聞かされた。フックさんは当日に聞かされた』とイジることもあり、芸歴も年齢も上のフックさんへの当たりがキツいともっぱらでした」(テレビ関係者)
しかし、実際は蜜月関係を築いていたようで、
「5年前、フックさんの傘寿をお祝いするイベントに駆けつけたのが上岡さん。ステージに立つと、かなり長い時間にわたってフックさんとトークを繰り広げたのです。周囲はその光景を見て、口々に『年齢を重ねてやっと元の関係に戻った』と安堵していましたが、実は何度もゴルフを一緒に楽しんでいたそうです」(テレビ関係者)
晩年は愛妻と2人で大阪の下町にあるマンションでひっそりと暮らした。
「楽しみと言えば、近所を仲良く散歩したり、一緒に食事をしたりする程度だったと言います」(テレビ関係者)
本人の遺志により、葬儀は密葬で執り行われた。お別れの会も固辞し、死後もなお上岡流の美学を貫いている。
*週刊アサヒ芸能6月22日号掲載