元タレントの上岡龍太郎(享年81)が5月19日に逝去していたことがわかった。「探偵!ナイトスクープ」(ABCテレビ)などのレギュラーを抱えながら、絶頂期の00年に引退。亡くなるまでの「空白の23年」を追った。
「芸能界を引退したものの、何かと理由をつけて復帰するケースは多い。例を挙げれば、都はるみ(75)や小室哲哉(64)が頭に浮かびます。11年に55歳で引退した島田紳助(67)も、後輩タレントのYouTubeに出演するなど、どこか未練を感じますが、まだ余力を残して58歳で引退した上岡さんはキッパリと足を洗った。みずからの美学を最期まで貫き通した印象です」
芸能ジャーナリストの佐々木博之氏がこう話すように、引退後はほとんど公の場に姿を見せることはなかった。
ベテランの放送作家がタレント時代を振り返る。
「上岡さんの主戦場は関西のテレビ局で、常々『ギャラは三流』と自嘲していましたが、それでも番組1本で50万円は下らなかったはず。番組1本の年間出演料が2000万円としても、引退までの10年間で少なくとも10億円は稼いだ計算になります」
引退するにあたって、「アメリカでプロゴルファーになる」と語っていた上岡は、その宣言通りにゴルフ留学したが、
「アメリカの生活に馴染めなかったのか、1年ほどで帰国しましたが、その後もゴルフは続け、やしきたかじん(享年64)や桂ざこば(75)とラウンドしていたようです。短気な性格は変わらず、癪に障ることがあると、キャディーに怒鳴り散らすこともあったとか」(在阪テレビ関係者)
達者なのは口だけにあらず。頭脳も衰えを知らなかった。ベテランの放送作家は、
「上岡さんは面食いで若い女性に目がない。年が9つ離れた奥様と出会ったのも彼女が中学生の時ですから」
と前置きして次のように明かす。
「認知症防止も兼ねて、AKB48のメンバーの名前と顔を丸暗記。ただ、新しいグループが次々とできたり、メンバーがコロコロ入れ代わるので、ある業界人に『秋元康にメンバー固定せえって言っといて』とボヤくことも」
そんな上岡が久しぶりにテレビカメラの前に立ったのは07年6月。かつて「漫画トリオ」で苦楽を共にした元大阪府知事の横山ノック(享年75)のお別れ会で、
「ノックさん、あなたは僕の太陽でした」
この名フレーズから始まる伝説の弔辞を披露し、健在ぶりを発揮した。
以降、芸能界では上岡の復帰を望む声が後を絶たなかったが、1度だけ、
「ええタイミングかもわからんな」
と、前向きな姿勢を見せたことがあったという。お笑い関係者が明かす。
「2010年頃、あるテレビ番組で、タレントの伊集院光さん(55)が、占い嫌いの上岡さんの性格を逆手に取り、『上岡さんは絶対に復帰しません』という占いを紹介すれば、それを否定するためにひょっとして出演してくれるのでは、という奇策を提案。それを伝え聞いた上岡さんはヒザを叩いて、まんざらでもない表情をしていたそうです」
だが、ついに復帰はかなわなかった。
(つづく)