ヨネスケ「コロナが壊した落語界のしきたり」/ガタガタ言わせろ!(1)

 ヨネスケこと、桂米助です。今週は落語家がかならずする「新年の挨拶回り」についてお話ししましょう。

 挨拶回りの前に、年末にしておかなければいけないことがあります。師匠の自宅の大掃除と、おせち料理作りのお手伝いです。

 俺が若手で最も忙しい時代は、3軒の師匠宅のお手伝いをしていました。最初は、二代目桂小文治師匠のご自宅で用事を済ませてから、次は五代目古今亭今輔師匠のご自宅へ。最後に直の師匠、桂米丸の自宅へうかがい、お手伝いです。3軒を1日ではお手伝いしきれないので、3日間かけて。

 休む間もなく、年始は挨拶回り。俺が所属する落語芸術協会は、下から順に階級が前座見習い、前座、二ツ目、真打ちの順。年始は手ぬぐいを持参して挨拶するのが決まりですが、紋付を着られるのが二ツ目以降と同様で、前座見習いと前座は手ぬぐいを作れない。二ツ目に昇格するまでは、書道で使う半紙を一帖(20枚)買って、名前を書いた半紙に熨斗をつけて挨拶回りをしていました。

 そして、寝る間も惜しんで元旦からは挨拶回りが始まります。「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」と玄関先で頭を下げるだけですし、玄関先でのご挨拶で1軒数秒で終わりますが、大師匠や師匠、理事などを含めると、訪問件数は膨大。元旦から開く寄席の楽屋で諸先輩方に挨拶前に会ってしまうのは、きまりが悪い。だから、正月と呼ばれる期間は毎年、朝6時起きで急いで支度をしていました。寄席を終えたら、師匠の自宅へ行って、深夜までお客様をおもてなしする日も珍しくなく。若かったから乗り切れたのかなと(笑)。

 余談ですが、年末の大掃除とおせち作りのお手伝いは、師匠が引導を渡すまで勝手に引退できません。二ツ目になっても真打ちになっても、師匠は格上。師匠から「若手にやらせるから、もういいよ」と言われないと、卒業できません。

「上下関係を重んじる世界に長年、身を投じるのはつらいのでは?」と聞かれれば、それが当然の世界に育ったから、俺自身はつらいと思った経験がないですね。ただ、コロナ禍のせいで、礼儀作法や上下関係を目の当たりにして学べない、今の若手はかわいそうかな‥‥と、危惧しています。

 例えば前座には多種多様な仕事が任せられますが、その1つが、師匠の着物を畳むこと。人によって畳み方が異なるのに、コロナのせいで、他人の着物に触れる行為自体がNGとされました。師匠から学び、自分流の畳み方すら確立できないかもしれません。

 楽屋にいる師匠への、お茶のいれ方も然り。師匠により、味の好みは異なります。ですが今は、湯呑み茶碗を使えない。例えば俺の場合なら、紙コップに「ヨネスケ」と書いたお茶が出される。風情も何もあったもんじゃない。

 誰も悪くないんだよ。悪いのは、コロナウイルス。俺は、「人を憎まずしてコロナを憎む」という姿勢を、徹底していきたい。

 コロナが壊した文化は、落語だけじゃない。歌舞伎や、NHK交響楽団のようなオーケストラも打撃を受けていると思う。噺家も挨拶回りを禁じられて3年。すべてが簡素化されて、若手は挨拶回りの方法もわからないかもしれない。

 簡素化されたのは、一般企業も同じ。知り合いの葬儀業者が言っていたなぁ。「(少人数の)家族葬ばかりが増えて、売れるのは棺桶だけだ」と。楽かもしれないけど、若手は正式な葬儀の方式を知らないかもしれない現実も悲しいかな。

ヨネスケ 落語家・タレント。1948年4月15日生まれ、千葉県出身。1967年、4代目桂米丸に入門し、1981年真打昇進。2020年、YouTubeチャンネル「突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】」を開設。

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