「過ち」を繰り返し、野球人生を棒に振ってしまった。元西武・相内誠(28)のことだ。現在は格闘家、YouTuberとして活動し、オリジナルブランド「SIEL」を立ち上げるなど充実しているようだが、彼の周辺で話を聞くと、必ず「野球に専念していたら大成したのに」との声が聞こえてくる。プロ野球人生を終わらせた、自動車でのトラブルは3度にも及んだ。
2020年8月20日、西武からの発表で、相内と後輩の佐藤龍世(25)が4月12日、ゴルフに出掛け、首都高を150キロ近い速度でブッ飛ばすスピード違反を犯していたことが発覚した。
当時は新型コロナウイルス禍により、ペナントレース開幕戦は6月に延期。全国各地で緊急事態宣言も出され、不要不急の外出は厳禁とされていた。
相内は球団を介して謝罪コメントを出したが、「無期限の対外試合出場禁止」並びに「ユニフォームの着用もNG」の重い処分が下された。3度目の謹慎であり、この時点で解雇処分は決まっていたと言っていい。
しかし、相内の地元の友人たちはこう反論する。
「アイツは絶対に悪いヤツじゃないんです。ヌケているというか、大人になりきれないところがあって」
庇う理由は、1回目の謹慎処分にある。
ドラフト指名からまだ2カ月も経っていない12年12月4日の深夜だった。相内は無免許とスピード違反で補導されたのだ。
「まだ仮免状態でした。先に自動車免許を取った高校の友達が教習所まで迎えに行き、『ドライブに行こうぜ』と誘ったんです。スカイツリーまで行って帰る途中、運転していた友達が『眠くなった』と言ったので、運転を代わりました。そうしたら、誠も眠くなってきて‥‥」(友人)
ここから、相内の〝大人になりきれない〟無節操な思いつきが繰り返される。仮免状態で運転を代わるのもおかしいが、「眠い。早く帰ろう。早く帰るにはスピードを上げて‥‥」と考えたのだという。
警察にスピード違反で止められたあと、相内は「神様、僕に免許証をください」と祈っていたそうだ。
その後、在籍高校、西武の怒りを買い、契約凍結と謹慎処分が下された。
「入団後も他の新人とは別行動で、しばらくは2軍戦でボールボーイをやらされました。でも試合中に居眠りをし、審判にも怒られていたが、『サングラスを掛けていたからバレないと思った』などと言うんですから」(球界関係者)
球団は早朝に大宮駅周辺の清掃ボランティアも課し、さらに反省を促した。
「彼の契約金は8000万円(推定)。2位指名とはいえ、全国大会に出たことがない高卒投手には異例の大金です。家庭環境が複雑だった相内に対し、高校野球部の父母会や関係者が契約金を貯金するように勧めたら、『フェラーリが買いたい』と。今思えば、仮契約のスピード違反の予兆はあったのかもしれません」(地元後援者)
ある意味で、「房総のダルビッシュ」の異名を取った相内のことを球団は、ドラフト同期の大谷翔平、藤浪晋太郎以上の大物と捉えていたのかもしれない。
不祥事は続く。入団2年目、球団のHP上に飲酒の目撃情報が投稿された。問い詰めたところ、喫煙も白状し、6カ月間の対外試合の出場禁止、夜間外出とユニフォームの着用NGが通達された。18年にもガードレールに衝突する自損事故を起こし、その際には球団から1年間の運転禁止が通達されている。
「佐藤選手も巻き込んだスピード違反の1カ月ほど前、相内は六本木での合コンに参加しています。その時は〝主犯〟ではなかったので、口頭注意で済みましたが‥‥」(前出・球界関係者)
その反省を述べた直後の過ちである。球団としては「仏の顔も何度やら」だったのであろう。
あげく、オフに戦力外通告を受けると、格闘家に転身。21年にデビューしている。
「今年2月、格闘家として3試合目となる安彦考真(44)戦が行われた。元プロサッカー選手と元プロ野球選手の対決ということで注目されましたが、相内は1ラウンドKO負け。でも格闘家として火がついたみたいです」(前出・地元後援者)
西武だけではなく、地元の友人たちとの接点も減ってきた。格闘家として成功した報告がまだできないからなのだろうか、退団に直結した最後の過ちについても、まだ話したくないところがあるようだ。
「佐藤は裁判で『相内さんの指示』と証言しました」(前出・スポーツ紙記者)
相内は自身のインスタグラムで、ただひと言「あきれる。」と反論。真相はわからない。今後は何事も格闘家としてのエネルギーに変えてもらいたい。
*週刊アサヒ芸能11月10日号掲載