新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【22】1万6500人が酔いしれた「BI砲復活」

 1971年12月7日に札幌中島スポーツセンターでドリー&テリーのザ・ファンクスに敗れて以来、7年8カ月ぶりにジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が復活した79年8月26日、日本武道館での「プロレス夢のオールスター戦」は、まさに〝真夏の一夜の夢〟と言ってよかった。

 主催する東京スポーツ新聞社は馬場と猪木のBI対決を望み、猪木も熱望したが、馬場は「それには過去の経緯をクリアせよ」の一点張り。最終的な落としどころが一騎打ちを見据えたタッグ結成だった。

 いざタッグ結成が決定するや、一騎打ちに固執していた猪木が記者会見で「目を慣らす意味でも全日本のマットに上がろうかな? 時間があれば、馬場さんと一緒に練習したいね」とリップサービス。こうした猪木の態度に馬場は「いつ、どこで騙されるかわからない」と警戒心を抱いていた。

 そして大会数日前の深夜に馬場のもとに猪木から電話がかかってきた。馬場は電話の内容について多くは語らなかったものの、親しい関係者に「やっぱり猪木は信用できない。これだから一緒にやれないんだよ」と漏らしていたという。

 その内容については、試合後に対戦をアピールすることについての了承を求めたという説もあれば、猪木が「勝ちを譲ってほしい」と頼んだという説もある。

 そうした裏の駆け引きを知らない日本武道館に集まった超満員1万6500人の大観衆はBI砲の復活、アブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンの両団体のトップ・ヒールの初合体に酔った。

 まずブッチャーとシンがピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」の不気味な旋律に乗ってピンスポットを浴びて姿を現せば、次に「イノキ・ボンバイエ」に乗って猪木が颯爽とリングイン。そして最後に日本テレビのスポーツテーマで馬場が入場。猪木が観客と一緒に手拍子して馬場を迎え入れ、馬場と猪木がガッチリと握手。この時点で会場の空気はしっかりと出来上がった。

 試合は日本プロレス以来8年4カ月ぶりの猪木vsブッチャー、馬場とシンの初対決に注目が集まったが、ここで存在感を発揮したのがブッチャーだ。プライドの高いシンは「ライバル団体のトップにいいところは取らせない」という姿勢だったため、馬場vsシンの見どころは馬場の16文キック程度だったが、ブッチャーはブレーンバスターを食らい、延髄斬り3連発を食らって猪木を光らせたのだ。

 ちなみにこれが猪木の延髄斬り初公開。当時は延髄斬りという名称はなく「頭部へのアリキック」という表現が使われた。

 ブッチャーは猪木の技を受ける一方でエルボードロップを投下するなど、自らの持ち味も発揮。この一戦でブッチャーは「新日本に行ってもトップ外国人の地位をモノにできる」と確信した。それが2年後の81年の新日本と全日本の仁義なき外国人引き抜き戦争につながるのである。

 さて馬場と猪木のBI砲のコンビネーションだが、猪木がシンの左腕をアームブリーカーに捕らえると、リングに躍り込んだ馬場がシンの右腕を取ってダブルのアームブリーカーというかつてのBIコンビにはない合体技が生まれた。

 最後は猪木がシンを逆さ押さえ込みでフォール。馬場はリングに仁王立ちしてブッチャーのカットを許さず13分3秒で決着。

 そして試合後に問題シーンが生まれる。マイクを手にした猪木が「今度、リングで会う時は闘う時です。馬場さん、やろう!」と、対戦をアピールしたのだ。これに対して「よし、やろう」と馬場が呼応したとされるが、実際には馬場のマイクは大歓声にかき消されて、何と言ったのかわからないというのが真相だ。

 控室に戻った馬場は「やるよという返事をしたまでだよ。条件付きということで、全てがクリアされたわけじゃない。ただ、今日の試合が開催できたということで道は開けたとは思うけどね」と、オールスター戦開催が決定した時点からの姿勢を崩さなかった。

 ともあれ、この試合で一番オイシイところを持っていったのは猪木。ブッチャーとの攻防で沸かせ、馬場と並び立った舞台で自らフォールを取って勝利を呼び込み、馬場との対決をアピールできたのである。

 なお、試合後の舞台裏では、新日本の新間寿取締役営業本部長が控室近くの通路で数人の若者に現金を渡しているのを全日本の関係者が目撃して馬場に報告。馬場が「新日本はアルバイトを雇って猪木を応援させた」と激怒するという一幕もあった。新間は「息子が友達と一緒に観戦に来ていたので〝帰りに飯でも食って帰れ〟と小遣いをあげただけ。アルバイトなんか雇わなくても猪木は応援されますよ」と反論するが、そうした疑念が生まれるほど、馬場は猪木も新日本も信用していなかった。

 馬場の中に「猪木と絡むのは、この1回限り」という思いが強く残った夢のオールスター戦だった。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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