池永正明さんは八百長を一貫して否定して逝った/プロ野球「伝説投手」の老境(3)

 もう1人のレジェンドOBは、元西鉄ライオンズの池永正明さん(享年76)。9月25日にがんのために逝去した。ベテランスポーツライターが語る。

「65年に、山口の下関商業高校から西鉄に入団。同期にはプロゴルファーのジャンボ尾崎もいる。稲尾和久に代わるエースとして新人時代から20勝を記録。さらに入団からわずか5年で99勝を達成した。300勝投手を目指せる大器として、将来を嘱望されました」

 誰もが思い描く明るい未来に暗雲が漂い始めたのは、69年のシーズンオフ。いわゆる「黒い霧事件」によってプロ野球界を永久追放されることになる。

「チームメイトに端を発した八百長疑惑が延焼しました。本人は先輩選手から金銭を預かっていたことを認めながら、八百長行為は一貫して否定。主張むなしく、70年のシーズン途中にNPBから処分が下りました」(ベテランスポーツライター)

 球界を追われた若き天才投手はその後、福岡の中洲でバー「ドーベル」を経営。公の場に再登場したのは実に31年後。01年に発足した「マスターズリーグ」のマウンドだった。

「福岡ドンタクズの投手として出場しました。選手時代から親交のある稲尾氏の尽力で実現したといいます。それ以前から、処分取り消しを求める署名活動などの復権運動が国会にまで拡大。ついには05年のオーナー会議で処分が解除されました」(球界関係者)

 それでも、名誉回復に費やした35年はあまりに長く、時間が戻ってくるはずもない。

「08年とマスターズリーグが停止する09年の2年間で福岡ドンタクズの監督を務めました。ただし、長い間疑惑の目を向けられていた心の傷は癒えなかったのか、人目を避けるような行動が目についた。同様に、他のOB選手も池永のプライベートには触れないように気を遣っていましたね」(球界関係者)

 元西鉄でOB会会長の竹之内雅史氏が追悼の言葉を贈る。

「最後に会ったのは、昨年末に開かれたOB会の忘年会でした。選手時代の思い出話に花を咲かせるばかりで、一切病気の話は出てこなかった。つい思い出してしまうのは私の呼び名の変遷です。私が入団したばかりの頃は、2歳年下でプロ歴が3年先輩の彼に『おい、タケ!』なんて呼び捨てで呼ばれていましたが、その後1軍に昇格して『タケヤン』、レギュラーに定着して『タケさん』と変わっていった。徐々に球界のエースから信頼されてきたんだなと嬉しかったことを覚えています。惜しい人を亡くしました」

 男はみんな、傷を負った戦士だった。

*週刊アサヒ芸能10月13日号掲載

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