さらば青春の光・森田哲矢「円満退社じゃなかったんかな」/テリー伊藤対談(3)

テリー 組んですぐネタは評価されたの?

森田 最初の年(2008年)の「キングオブコント」は1回戦で落ちたんですけど、組んで8カ月くらいで関西の賞レースはけっこうどこへ出ても決勝には行けるみたいになって。あとは「キングオブコント」だけ出れてないなみたいなのが3年ぐらい続いたんですよ。で、2012年のキングオブコントで初めて決勝まで行って、そこからはずっと連続で出してもらうようになって。

テリー その間は、経済的には?

森田 関西の賞レースで決勝に行くような時も仕事はそんなになかったですね。だから、ずっとボウリング場とか居酒屋の厨房とかでバイトをしながら、ライブがあったら出て、みたいな感じでしたね。

テリー バイトやめられるようになったのは?

森田 初めてキングオブコントの決勝に出て、松竹芸能を2013年にやめてからじゃないですかね。たぶん、東京に来てからやと思います。

テリー 松竹って大看板じゃないですか。なんでやめたんですか。

森田 当時はやっぱり吉本がでかくて、松竹はだいぶそれに比べたらちっちゃかったんですよ。で、仕事も一応もらうんですけど、ほとんどなくて。1回「仕事やるわ」って言われて、行ったのが鴨川沿いのゴミ拾いっていう仕事で。「何が仕事やねん、これ」っていう。結局、ギャラも入ってなかったしみたいな。

テリー 松竹でもそんなのがあるんだ?

森田 そういうのは割と経験しましたね。仕事もないし、「ここで変に世に出ちゃうとよくないかもな」とか思って、それでやめた感じですね。

テリー へぇ。すごい判断力だね。

森田 やめる1年前に、実は「もうやめたいんです」とは言ったんですよ。「ちょっと待ってくれ。絶対食わすようにするから」って言われたんですけど、結局1年間食えなかったので、やめようかみたいなことでやめましたね。

テリー ということは円満退社というか。

森田 こっちは円満退社やと思ってたんです。最後、社長に北新地のメチャメチャいい焼肉屋に連れてっていただいて、「個人的には応援してるからな」って言われたんですけど、その翌日に「彼らを支えることは不可能になりました」っていう、ものすごい怖い文章が松竹のホームページで発表されて、「あ、円満じゃなかったんかな」みたいな。

テリー 見た人は、「なんだ、こいつら事務所とトラブルがあってやめさせられたんだ」って思っちゃうよね。

森田 そうですね。当時知り合いのスポーツ新聞の記者から電話があって、「森田さん、これはヤ〇ザの破門状と一緒ですよ」って言われて、「えっ、そんなことになってるんですか」みたいな感じでしたね。

テリー それで自分たちで事務所を作ろうと。

森田 はい。

テリー 「このまま潰されちゃうんじゃないか」みたいには思わなかった?

森田 そうですね。(2013年の)3月に退所したんですけど、退所直前に松竹芸能に呼ばれて、「とりあえずライブもテレビも出たらあかんから」って言われて。7月ぐらいですかね。しずるさんが初めて「ルミネ(theよしもと)」に呼んでくれて、そこから「じゃあ、もう『さらば』呼んでいいんかな」みたいな感じの空気が流れたというか。徐々にライブから復活できた感じですね。

*テリー伊藤対談(4)に続く

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