ヘルパーの資格を取り、デイサービスの非常勤(パートタイマー)での採用が決まったのは65歳の冬だった。朝夕は送迎車の運転手で、昼間はヘルパー、時給950円。
戸惑ったのは、まずは車の運転。お客様を送迎するのは、ワンボックスのハイエース。自家用のセダンと異なり鼻(ノーズ)がなく、内輪差が違うため、ハンドルを切るタイミングが違う。危うくボディをこすりそうになったことが何度あったことか。
また、安全のため乗降が左側のドアだけという構造になっていることにもひと苦労。左側で中村さんを降ろして、車が北向きになっているとする。次の3軒先の伊藤さんのお宅が右側だとすると、グルリと車を回して来て南向きに停めなければならない。なおも厳しいのは、僕の勤務していた都内の品川区、目黒区周辺は、車がようやく通れる細い道が多く、半分以上が一方通行。道を一本、間違えると、迷路に紛れ込んだ状態になってしまうことだ。
あとで知ったことだが、意地の悪い先輩は、自分が熟達しているのをいいことに、僕が添乗の時、いつも異なるルートを走り、僕を迷わせていたようだ。
ヘルパーの仕事に関しては、誰も、何も教えてくれないが、それが当然と、あとで知った。
ある日のこと、ベテランのヘルパーがトイレ掃除を教えてくれた。次の勤務の時に別のヘルパーが「トイレ掃除、覚えた?」「まだです」と。教えてくれたが、前の人と段取りが違う。質問したら「どっちでもいいの、理屈っぽいと嫌われるよ」とのことだった。
いつもの配膳係が休みのため、別のヘルパーが昼食の味噌汁を作った。豆腐がいつもより大きいと世間話で口にしたら「細かいことを言わない!」と怒られた。考えてみると、確かに僕が不謹慎だった。
例えば一流ホテルの客室清掃係ならば最も効率的な清掃法が確立され、それに沿って作業しなければならない。老舗の日本料理店の吸い物に入れる豆腐は、食べやすさや美味しさが計算され、ミリ単位までの狂いも許されないだろう。
ところがここは、一軒のデイサービスの施設だ。お年寄りの世話をするのが本来の趣旨だ。細かいことを言い出したらきりがないし、何よりも掃除、洗濯、料理などの家事には正解がない。いや、正確に言えば、前述したように、効率的な方法はあるのだが、プロと異なり、一般の主婦は自分のやり方で日々の仕事をこなしているのだ。
デイサービスで肝心なのは、お年寄りに、安全で楽しい一日を過ごしてもらい、定刻に自宅に送り届けることで、他の介護職と較べると、仕事としての負担はさほど重くない。食事やトイレの介助が必要な、介護度の高い利用者はあまり多くない。最も重要なのは、従業員間の人間関係だった。
*入門マニュアル「シニア再就職のリアル」(3)に続く
夏樹久視:1947年東京生まれ。週刊誌アンカー、紀行作家、料理評論家などを経て推理作家に。母親の認知症を機に、65歳でヘルパー2級の資格を取得、約5年間、デイサービスでの就業を経験する。