入門マニュアル「シニア再就職のリアル」〈介護ヘルパー〉(1)介護実習で若奥様と密着し

 まだ働ける。働けるものなら働きたい。でも未知なる職業に、今さらどうやって飛び込もうか。シニアの再就職を応援すべく、緊急連載でリアルな実体験レポートをお届けしよう。第1回は介護ヘルパーとなった推理作家の登場だ。

 作家を志し、24歳で出版界に足を踏み入れた。そんな折、ある人を紹介され、名刺の裏書の紹介状を手にお会いした。

「物書きと編集者は、つぶしが効かなくてね」

 話の途中で、苦笑交じりに漏らしたそんな一言が、ひどく印象に残った。

 1970年代初頭、出版文化が繚乱の時代だった。その勢いに乗って僕も書きまくった。舞台を選ばなければ、仕事はいくらでもあった。やがて推理作家としてデビュー、しばらくは執筆依頼が殺到したが、出版不況が襲い掛かり、生活水準も落ち込んだ。

 そんな時、87歳になる母親が、認知症を発症した。

「誰の世話にもならない」と千葉県で一人暮らしをしている気丈な母親で、僕が介護するわけにもいかず、地元のヘルパーに身の回りを見てもらうことにした。

「情けは人の為ならず」という諺が脳裏に浮かんだ。人に対して情けをかけておけば、巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味だ。だから僕が、身近なお年寄りに情けをかけておけば、その報いが、母親にも巡ってくるかと思った。

 特別な資格もなく、肉体労働のできる屈強な身体もない、まさに「つぶしの効かない」僕には、ほかに選択肢はない。

 東京・自由が丘にある介護の短期集中講座に1カ月通って、ヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格を取ることにした。1日6時間の授業で入学金・授業料で8万円くらいだったが、学費を納めに行くと教科書、実習の教材費なども含め10万円近くかかった。

 初めての登校日、教室に入って、驚いた。講座内容からすれば当然だが、23人のうち4人が男で、他は全て女性だった。それも平均40歳前後の熟女たち。で、なおのこと驚いたのが、とりわけ若くて美人の女性が、僕の隣に座ったことだ。入学手続き順に席が決まるという運命のいたずらだった。

 左手の薬指に輝く指輪をちらりと見て、「奥さんなの」と聞くと、

「はい、2年前に結婚しました」

「若い奥さんだね」

「いいえもう28歳、おばさんです」

 前の席に座った、本物のおばさんの肩が揺れる。

 それから毎日、机を並べてお勉強。しかし、少しだけ困ったのは車いすでの移乗の実習だった。

 僕がベッドに仰向けになる。ヘルパー役の若奥さんが、腰をかがめて覆いかぶさるように接近し、両手を僕の腰に回す。チークダンスではないけれど、頬と頬がわずかに擦れあっている。甘い香りが、鼻をくすぐる。

「患者さんは、ヘルパーの肩に両手を回す」と講師が指導。言われるように肩を抱きしめる。この光景って、介護の実習でなければ、オヤジと若妻の不貞現場にしか見えない。

 若奥さんが、両手に力を込めて引き寄せ、僕を抱え上げる。柔らかな胸の感触が、僕の胸に伝わってくる。Cカップくらいか、かなりのボリュームだ。

「そのまま車いすに乗せます」

 二人は抱き合ったまま、ベッドから立ち上がる。その瞬間に感じる、若いボディのほのかな弾力も心地いい。かなり力のいる仕事なので、耳元では切なそうな吐息も聞こえてくる。28歳、まさに女ざかりの年齢‥‥。そんな不謹慎な想像をしていると、移乗の実習は終わった。

*入門マニュアル「シニア再就職のリアル」(2)に続く

夏樹久視:1947年東京生まれ。週刊誌アンカー、紀行作家、料理評論家などを経て推理作家に。母親の認知症を機に、65歳でヘルパー2級の資格を取得、約5年間、デイサービスでの就業を経験する。

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