現役最多の1536勝(2月13日時点)をあげた名伯楽・藤沢和雄調教師が2月末で定年を迎える。多くの名馬を育てた輝かしい業績の裏には、それまでの常識を覆す〝藤沢流〟の馬づくりがあった。番記者として20年以上、間近で見てきた「週刊Gallop」の和田稔夫氏が、日本の競馬界を改革した〝藤沢伝説〟を振り返る。
ついに〝その時〟が来てしまった。JRA通算1500勝、JRA・GⅠ34勝。数字的な記録はもちろんのこと、イギリス仕込みの集団調教に馬なり調教、距離適性を重視した采配、海外遠征のパイオニア、ラストランの当日に実施する引退式‥‥。
馬本位の信念を貫き、日本の競馬界に様々な改革をもたらしたレジェンドトレーナーの功績は枚挙にいとまがない。幾多の名馬を手掛け、その名を国内外の競馬史に刻んだ藤沢和雄調教師(70)が2月28日をもって定年を迎える。
「長い間、好きな仕事を楽しく続けてこられたし、たくさんの馬たちに勉強をさせてもらった。おかげさまで晩年になっても慌ただしかったし、感傷に浸るような暇はなかったけどね。いい緊張感の中で仕事をさせてもらった。馬主さんやファンなど多くの方々に応援していただいたし、いろいろと感謝しています。最後まで責任を持ち、馬たちのことを考えながら毎日を過ごしていますよ」
残り1カ月を切った頃に心境を伺ったが、何か実感がないというか、不思議な感覚を覚えた。思えば17年春、3歳のクラシックシーズンを前に取材した時のこと。この世代には牡馬のレイデオロとサトノアレス、牝馬のソウルスターリングがスタンバイしていた。
「あと5年しかないのか、まだ5年もあるのか‥‥。年寄りになってもクラシックを狙えるような馬たちを預けてもらっているし、遊ぶ暇がなくて大変だよ」
そんなふうに定年の話題を笑い飛ばしていた。決まり事とはいえ、まだ先の話だと感じていたのだが‥‥。その時が迫るにつれ、寂しさと感謝の思いが一気に押し寄せてくる。
特別寄稿・和田稔夫(わだ・としお)「週刊Gallop」記者。1974年生まれ。大学4年の時にトラックマンを夢見て「競馬エイト」編集部でアルバイトを開始。その後「サンスポ」レース部を経て「週刊Gallop」記者に(現在は本誌予想を担当)。現場一筋で01年頃から藤沢和雄厩舎番を務めた。
*競馬・藤沢和雄の「革命伝説」35年(2)につづく