槙原寛己「日ハム次期監督の目玉は”清宮再生”」

テリー 僕、中学高校と早実なので、日ハムの清宮(幸太郎)は後輩なんですよ。同学年なのにヤクルトの村上とはずいぶん差がついちゃったと思うんですけど、どうしちゃったんですか。

槙原 清宮が1軍に上がれば、中田翔を出した意味がちゃんと出てくるんですよね。清宮はファームで19本塁打してますし、2割ぐらいの打率ですから、使えなくはないんですよ。それなのに1軍に上がれないのは、例えば2軍での練習態度とか、試合に対する姿勢とかで、まだ評価をもらってないのかなって気がしますけどね。

テリー 日ハムは栗山(英樹)監督が今季限りの退任が決まって、次の監督は稲葉(篤紀)さんじゃないんですか(その後、GM就任が判明)。そうすると、清宮を使ってくれるのかなと思うんですが。

槙原 それは監督が変われば使う選手もみんな変わりますからね。だから、2軍でくすぶってる選手たちもチャンスがあると思って、みんな目の色が変わるんですよ。その目玉は清宮再生ですよね。

テリー そうですか! そうなると、来季の楽しみがまたひとつ増えるなぁ。ちなみに稲葉監督のオリンピック采配はどうでした?

槙原 いやぁ、ほんとにすばらしかったです。彼はずっと「いいチームを作りたい」と言っていて、大事な場面でバントや何かをさせたりしても「チームが勝てばいい」というポリシーを持った選手だけを選んできてるんですよね。僕はその人選が何よりすばらしかったと思うんです。きっと多くの選手を呼んで、性格的な部分もいろいろと見てきたと思いますけど、最後に残したのは、日本の金メダル獲得にかける思いがすごく強かった選手だったと思うんです。だから、どんな境遇でも勝てたと思うし、そういう信念が招いた結果でしょうね。

テリー そういえば槙原さん、最後に話はコロッと変わるんですけど、カレーパンのプロデュースをしたんですって?

槙原 アハハハハ、そんな話もするんですか(笑)。そうなんです、僕、カレー大好きで。正直、毎日カレーでもイケるんです。で、僕の知り合いに脱サラしてパン屋を始めた人がいて、それがけっこう人気になって、店に行ったら「一緒にカレーパン作ろうよ」って言われたんですよ。

テリー へぇ。

槙原 で、その人が埼玉県の本庄の人なんで、その土地の名物の深谷ねぎを入れちゃえって、最初に「深谷ねぎカレーパン」っていうのを作ったんです。

テリー おいしそうじゃないですか。

槙原 うまいんですよ、甘くて。で、「1個じゃ売れないな」って、他にもいろいろ作っていったら「十勝豊西牛カレーパン」とか「讃岐カレーうどんパン」とか全部で5種類になったんです。

テリー どこで買えるんですか。

槙原 その友人がやってる「ベーカリーズ・キッチン・オハナ」っていうパン屋と、その店が池袋の東武百貨店の地下1階に出店したので、今のところは、そこで買えます。

テリー じゃあ、もうカレーパンで大儲けだ。解説者のほうも、この2年はコロナで大変だっただろうから、いろいろ副業も考えないとね。

槙原 いやいや、いくら売れても僕は儲からないんですよ。でも、ほんとにおいしいので、機会があったら食べてほしいですね。

テリーからひと言

実は槙原さんの家とうちは近所なんだよね。ぜひ、近所にもおいしいパン屋さんを作ってほしいね。

槙原寛己(まきはら・ひろみ)1963年、愛知県生まれ。愛知県立大府高校卒業後、ドラフト1位で読売ジャイアンツへ入団。初登板で初完封、その年に12勝を挙げ、当時の日本最速である155キロを記録するなど、藤田・王・長嶋監督のもとで、巨人黄金時代を支える投手として活躍した。94年、対広島戦で20世紀最後の完全試合も達成。98年、シーズン途中からリリーフへ転向し、01年に現役を引退。現在は野球解説者として、プロ野球、メジャーリーグなどの解説で活躍中。

*「週刊アサヒ芸能」11月4日号より

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