心に響く!歴代五輪の名言&珍言(2)「1位でなければビリでも同じ」

 強行開催か中止か、有観客か無観客か――かつてないほど激論が飛び交う東京五輪。間もなく開幕となるが、メダル以上に世の中を騒然とさせたアスリートの言葉をプレイバック!PARTⅡ

「日本短距離の歴史の勝利」末續慎吾(08年北京/陸上400㍍リレー)

男子400㍍リレーの銅メダルは、実に80年にメダルを日本にもたらした。2走の末續は、この4人だけではなく「日本短距離の勝利」と言い放ち、現在の山縣亮太や多田修吾に続く短距離黄金時代を予見している。

「康介さんを手ぶらで帰すな」松田丈志(12年ロンドン/競泳400㍍リレー)

04年アテネ、08年北京で平泳ぎ100㍍、200㍍ともに金メダルを獲得した北島康介だったが、12年ロンドンでは個人種目で無冠。最後のメドレーリレーを前に、松田丈志が北島に内緒で「手ぶらで帰すな」と檄を入れた。

「ビッグパフェ食べたい」松本薫(12年ロンドン/柔道)

柔道女子57㌔で金メダルに輝き、闘志あふれる表情から「野獣」の愛称も知れ渡った。そんな松本は、快挙の直後のインタビューで「ビッグパフェ食べたい」と乙女な一面を見せる。そして現在はアイスクリーム店も経営する。

「誰がゴールしたかも覚えてないんです」川口能活(96年アトランタ/サッカー)

ブラジルを1-0で下し、世界を驚かせた「マイアミの奇跡」は、GK川口のスーパーセーブの連発による。試合後に「これで終わったわけじゃありません」と冷静な面を見せた。ちなみに川口に忘れられた得点者はMF伊東。

「最高でも金、最低でも金」田村亮子(00年シドニー/柔道)

国民的な期待を背負いながら、92年バルセロナ、96年アトランタともにあと一歩で涙を飲む。背水の陣で臨んだシドニーは「最低でも金」の公言を達成。さらに「田村で金、谷でも金」「ママでも金」とワードが連発された。

「1位でなければビリでも同じ」中山竹通(88年ソウル/マラソン)

ライバルの瀬古利彦に「自分なら這ってでも出てくる」など、過激な挑発はお手の物。ソウルではメダルが期待されながら4位に終わったため、苦々しい顔で「1位でなければビリでも同じ」と吐き捨て、物議を醸した。

「あとはハッタリで戦った」富山英明(84年ロス/レスリング)

ロス五輪のレスリングフリースタイル57㌔級の決勝の相手は、地元アメリカの選手。完全アウエーの状態であったが、必殺のローリングで2点を奪うと、まんまと優位に立ち、残り時間は「ハッタリで」の心理戦で逃げ切った。

「絶対におかしい」室伏広治(04年アテネ/ハンマー投げ)

室伏は銀メダルで、金メダルに輝いたのはハンガリー代表のアヌシュだった。ただ、試合後のドーピング検査でアヌシュは不可解な態度が続き、再検査を拒否したことで金メダルはく奪。室伏は繰り上がりで金メダルを獲得した。

「温泉につかって海を見たい」浜口京子(04年アテネ/レスリング)

レスリング女子72㌔級の準決勝は不可解な判定で敗れたが、気持ちを取り直してメダルを死守した。元プロレスラー・アニマル浜口との二人三脚は理想の父娘像とも呼ばれ、社会現象に。銅メダルに終わっても父親を立てた。

(構成・石田伸也)

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