世界の福本〈プロ野球“足攻爆談!”〉「盗塁世界新記録はホロ苦い思い出」

 盗塁王13回、シーズン歴代最多となる106盗塁、通算盗塁数1065と輝かしい記録で「世界の福本」と呼ばれた球界のレジェンド・福本豊が日本球界にズバッと物申す!

 ルー・ブロックが9月6日に死去というニュースが飛び込んできた。やっぱり何とも言えず、寂しいかぎりやね。僕が1983年に追い抜くまで、ブロックの通算938盗塁は世界記録やった。最初はまったく意識してない数字やったけど、阪急の担当記者らに「絶対に抜けよ」と発破をかけられていた。僕自身の年齢も30半ばを過ぎて、記録更新の目標が励みとなっていた。でも実は世界記録達成の瞬間はホロ苦い思い出で、「走らなければよかった」と今でも後悔している。

 83年6月3日の西武戦。初回に四球で出塁して、まずはタイ記録の938盗塁を決めた。その後、打ち合いとなり、9回表まで西武が11─6でリード。四球で出塁はしたけど、走るつもりはまったくなかった。ボロ負けの試合で記録のための盗塁はしたくなかったから。ところが、上田監督からは「走れ」のサイン。目を疑ったけど、走らなかった。

 若い頃は「行けたら行け」の、今でいう「グリーンライト」の特権があったけど、その頃は「走るな」のサインが出るようになっていた。走る時もベンチの指示で動かされる選手になっていた。それでもさすがにあの展開では走りたくない。推測するにウエさんの盗塁の指示は、西武・広岡監督への強すぎるライバル心からやったと思う。世界記録を達成すれば、試合に負けたことがテレビや新聞でも報じられないから。サインが出ても走らなかったのは、あの時だけしか記憶がない。

 結局、次打者の二ゴロで二塁に進んだが、ここで魔が差した。投手の森繁和が執拗に二塁に牽制してくる。今さら1点取っても試合に影響がないし、走るつもりはまったくなかった。ベースカバーに入るショートの石毛にも「走らんよ」と伝えたのに、また牽制。イラッとして「ほんなら走ったろか」と三盗してしまった。楽勝でセーフになったけど、アウトになってたらほんまに格好悪かった。

 試合後の宿舎ではチームで祝福会を開いてもらい、遅くまでNHKなどのテレビにも出演した。皆からお祝いしてもらったけど、僕としては、どこかモヤモヤがあった。やっぱり試合の序盤や、重要な場面で新記録を達成したかった。それに自分の中では三盗は簡単すぎておもしろくないと思っていたから、やっぱり二盗で決めたかった。それがいったんはサイン無視の末に、ついつい走ってしまったんやから後悔が残る。

 結局、僕の通算1065盗塁も、リッキー・ヘンダーソンに塗り替えられた。僕が938を目指したように、記録というのは次に続く選手の励みになるもの。そういう意味では、日本で今後、僕の数字に近づく選手が現れそうにないのは寂しい。今年の盗塁数も見ていても少なすぎる。両リーグともに30台でのタイトルとなる可能性が高い。今年は120試合制とはいえ、3試合に1つの計算で最低でも40は走ってほしい。

 巨人の増田大や、ソフトバンクの周東、ロッテの和田らは盗塁だけなら50以上は簡単に決める技術を持っている。いつも言うように盗塁を増やす最大のコツは塁に出ること。代走専門や、試合に出ても打率2割を上回るのがやっとでは数は増えない。ブロックもヘンダーソンも通算3000安打を記録した。周東らはもっと打てるようにならんと、ほんまもんの盗塁キングにはなれんということや。

福本豊(ふくもと・ゆたか):1968年に阪急に入団し、通算2543安打、1065盗塁。引退後はオリックスと阪神で打撃コーチ、2軍監督などを歴任。2002年、野球殿堂入り。現在はサンテレビ、ABCラジオ、スポーツ報知で解説。

スポーツ