新宿クラスターで感染!アウトロー作家が「コロナ拘禁生活」を緊急寄稿

 7月22日には東京都で238人の新型コロナ新規感染者が確認され、都内の感染者数は累計で1万人を超えた。家族、職場の同僚、身近な友人…。もはや周囲で誰が感染してもおかしくない状況だ。そんな中、コロナ禍でも精力的にアウトロー取材をし続けてきた作家・影野臣直氏の「コロナ陽性」が判明。PCR検査にいたるまでの経緯とその後の拘禁生活をつづった。

 その日、私は機嫌が良かった。国民一人あたり10万円の「特別給付金」が、ようやく口座に振りこまれていたのである。さっそく、なじみの友人たちを連れて新宿の行きつけの居酒屋で散財した。7月上旬のことだ。

 携帯電話が鳴ったのは、それから3日後のこと。出ると、件の居酒屋の店主がこう切り出したのだ。

「影野さん、すいません。私、コロナに感染していました。じつは影野さんが来店される前日、うちで宴会が行われたのですが、そこでクラスターが発生したようです。その宴会の出席者のなかにはすでに発症して入院している人間もいます」

 クラスターが発生した居酒屋の店主とは酒席で、何度も話し込んだことから、私も“濃厚接触者”に認定されたという。だが、体調はすこぶるいい。発熱もないし、コロナ特有の症状もまったくない。

「間違いじゃないですか。私は元気ですよ」

 こう反論しても、店主はこう言ってPCR検査の受診をすすめたのだった。

「まったく症状がでない人もいます。とにかく、1日もはやくPCR検査をうけてください。重篤化すれば、命にもかかわる病気ですよ。保健所には影野さんの名前と連絡先を伝えておきました。そのうち電話がかかってくると思います」

 脅すようなセリフに、私の脳裏には、志村けんの衝撃的な死の報道が甦っていた。

 なお、無症状の人間がPCR検査を自費で受ける場合は、クリニックによってもバラつきがあるようだが、2万円から4万円かかるという。だが、今回は保健所に“濃厚接触者”のお墨付きをもらったことで、タダで受けられるようだ。

 その後、保健所から連絡が入り、一番はやくPCR検査をうけられる病院が、新宿区戸山にある“国立国際医療研究センター”であった。それでも、5日先まで予約で一杯だ。検査を受ける頃には、すでに濃厚接触者となって10日が経とうとしている。

「もう、体内のウイルスなんか消滅してるんじゃ…」

 私は乏しい知識の中で、そんなことを考えたりもした。それでも当日、国立国際医療研究センターに行って驚いたことは、病院内にはPCR検査場がないことだった。

 感染のリスクを減らすため、病院からすこし離れた駐車場の脇の50坪(165㎡)ほどの空き地に、ドーム型の検査場が3列に3棟づつ、9棟建てられているのである。

一列目のドームでカルテ等を確認し、検査キットをもらう。二列目のドームでは、フェイスガードと白い抗菌服を着た保健師の問診と体温測定。その後、10センチほどの大きな綿棒を、鼻の穴の奥に突っこんで、検体となる“鼻咽頭ぬぐい液”を採取するのだが、これが、また痛い。

 検体の採取に使われた綿棒はケースに保存。そのケースを、三番目のドームにいる保健師に渡して、一連のPCR検査は終了する。わずか15分ほどの検査であった。

 白い防護服を着た保健師が説明する。

「検査結果は3日以内。陽性の方には保健所から電話で連絡が行くので、担当の方の指示に従ってください。陰性の方には1週間以内に封書で知らせます」

 2日後、早朝に携帯電話が鳴る。当然、私は「陽性」を宣告された。検査結果の報告書は後日、郵送で送られてきた(写真)。無症状者である私への指示は、「10日間の自宅療養」。それだけだった。

「なんだ、アビガンを投薬されるわけではないのか」

 私は、そんなことを考えながら、保健師の指示を聞いた。だが自宅での療養は、想像以上に過酷だった。まず、任意ではあるが外出が禁止される。

 そして毎日、症状が出ていないか、体調に変化がないか否の、電話確認が行われる。なにより、私は2人の愚息と暮らしており、家庭内で感染させないよう人一倍気を遣った。

 食事は、全食一人でデリバリー。風呂やトイレは、私が使用したあとは、念入りにアルコール消毒。室内でも、マスクを装着して生活した。

 こんな私にも、血を分けた家族がいる。家族にだけは、感染させたくなかった。また、自宅から一歩も出られない自宅療養は、時間との戦いでもある。

 PCでのYouTubeやテレビの閲覧に、麻雀ゲームや読書などで時間をつぶした。それでも、自宅療養3日目ごろから、寝すぎで背中が痛くなってくる。

 退屈さでは、刑務所の昼夜独居よりヒドいかも知れない。それでも頭がおかしくなる直前、やっと満期日(?)を迎えることとなった。期間は短いが、精神的に長くツラい10日間であった。

 自主拘禁生活から開放された私は、ゴルフクラブを持ち、近くの公園で素振りを楽しんだ。屋外の空気が、運動することが、これほど気持ちいいとは思わなかった。

「やっぱり、健康が一番だな」

 私はコロナ感染の自宅療養を終え、齢61歳にして初めて、ごく当たり前のこと気づいたのである。          

(影野臣直)

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