弟・貴乃花とのコンビで90年代の相撲界に「若貴フィーバー」を巻き起こした、三代目若乃花こと花田虎上氏。引退後はタレント・実業家としても辣腕を振るう元横綱が、天才テリーとぶつかりトーク! この対談に水入りはない!
テリー 24日から開幕予定だった夏場所、残念ながら中止になりましたね。
花田 この前の春場所では、こういう状況の中でも頑張っている力士の姿に僕も勇気づけられた部分があり、できれば見たいなという気持ちでしたけど、しかたないですよね。
テリー 相撲協会は収益の大部分がNHKの放映権料ですから、中止となるとその点でも大打撃じゃないですか。
花田 でしょうね、春場所の時から懸賞金も減っていましたしね。珍しく、白鵬に1本しか付いてないのを見ましたよ。
テリー あれ、1本いくらもらえるんですか。
花田 僕が現役の頃、力士の手取りは1本3万円でした。今の金額はちょっとわからないですけど、手取り分以外は税金用に協会に残しておくんですよ。昔、税金のことを忘れて豪快に使ってしまった力士がいまして(笑)。それ以来、協会にプールしておくシステムができたんです。
テリー 無観客だった春場所の際には、インターネットのAbemaTVで解説を担当されていましたね。どんな印象でしたか。
花田 やっぱりお客さんがいないのは不思議な感じがしましたが、その状況で動きが変わる力士がいたので僕は楽しめましたね。
テリー 例えば、お客さんがいないからリラックスして取組ができるとか?
花田 はい、先場所では、思いがけない力を発揮できた力士がいたと思います。
テリー 例えば誰ですか。
花田 パッと思いつくのは碧山ですかね。彼は稽古場では強いんですけれど、本場所ではなかなか結果が出ない印象だったんですが、先場所では11勝して結果を出しましたから。逆に、炎鵬あたりは「何のために戦うのか、(目的を)見つけられなかった」とコメントしていましたし、遠藤もやる前から不調でしたが、7勝8敗で負け越しました。
テリー 遠藤は男前で、女性の黄色い歓声をパワーにしているから、そういうところが裏目に出たんだろうなあ(笑)。もし花田さんが現役だったら、無観客の取組はどうでしたか。
花田 実はそれ、場所が始まる前にずっと考えていたんです。でも当時、僕はあまりお客さんを意識してなかったというか、顔もよく見てなかったですからね。軍配が上がって、勝ち名乗りを受けて、その時の歓声で初めてお客さんの存在を確認した感じでしたから。喜んでくれる人がいれば「あぁ、自分はいい仕事ができたんだな」と納得できたんです。
テリー あの状況で観客を意識しないなんて、すごい集中力だなァ。やっぱり横綱まで上り詰めただけのことはあるよ。若貴ブームの頃って、全国中継で若乃花・貴乃花を倒せば自分の名前が上がるわけだから、相手は「絶対に潰してやろう」という意気込みで来ますよね。これは大変だったんじゃないですか。
花田 その意味では非常に苦しい15日間でしたね。場所が終わっても、力士は巡業で年に300日以上一緒にいますから、常に嫉妬や妬みがつきまとうんですよ。例えば若い時、稽古の最後に、若手は先輩力士に胸を出してもらう(ぶつかり稽古の受け手になる)んですけれど、僕の相手をしてくれたのは旭道山関ぐらいでしたから。
テリー 周りはなんでやってくれないんですか。
花田 僕に稽古をつけると、もっと強くなっていくから困る、ということだったんでしょうね。
テリー そんなことがあったんですか。でも花田さんは人格者だから、そんな時でもあんまりクサらなかったんじゃないですか。
花田 いえいえ、もともとは東京・杉並のやんちゃ坊主ですから(笑)。だからむしろ、「家族愛に囲まれたエリート力士」みたいなイメージを持たれていたほうがキツかったですね。
テリー それは意外だな。僕、お父さんの先代貴ノ花さんは同い年なんだけど、憧れのスーパーヒーローだったから。しかも、お母さんも美人でしょう。
花田 いえ、うちの母は妖怪ですよ(苦笑)。自粛ムードになりかけた時期に、体を動かすのが大好きで「ジムに行く」といって聞かなくて。諭すと「私を殺すつもりか」なんて言われちゃうので困っています。
テリー アハハハ、元気でいいことじゃないですか。
花田 父にしてもこの世界に入った以上は「親方」ですから、甘えることはできませんでしたしね。練習中はもちろん他の新弟子と同じ扱いですし、親父に張り手で殴られて全身ボッコボコでしたから。
テリー アハハハ、相手は張り手のプロだもんね。
花田 現役時代には、灰皿でぶん殴られたこともありますよ。しかも、会社の役員室に置いてあるような大理石の大きな灰皿で思いっ切り。
テリー えーっ! ヘタすると死んじゃうじゃないですか! 血まみれになったんじゃないですか。
花田 血が出ればよかったんですけれど、2回殴られても出なかったので、さすがに3回目は「まずい!」と思って、初めて親父の手をつかんで止めたんです。そして目を見て「次、死にますよ」と言ったら、我に返ったらしく、やめてくれました。
テリー なんでそこまで殴られるんですか。
花田 誰か1人を厳しく注意することで全員を引き締める、という社員教育の方法がありますよね、まさにその「1人」が僕だったわけです。
テリー 周りへの「見せしめ」のための厳しさ?
花田 ええ。あと、僕が部屋を歩いていたら突然、親父がドロップキックをしてきて、吹っ飛んだことがあるんです。
テリー ええっ、それ、何が理由だったんですか。
花田 その時は「歩き方が偉そうだから」ということでした。たまたまそこに居合わせたテレビ局のプロデューサーが「さすがにこれはひどすぎる、やめたほうがいい」と諭したらしいんですが、親父は「わかっています。見せしめのためにやっているんです」と答えたそうです。自分でも、それはうすうす感じていたので、「しかたないな」と思っていましたけど。
テリー しかたないな、で命を失ったら大変ですよ。
花田 もしも今、親父が生きていたら、ヤバい人扱いなんでしょうね(笑)。
※「天才テリー伊藤対談」の続きは5月24日10時に更新予定です
花田虎上(はなだ・まさる) 本名・花田勝。1971年、東京都生まれ。88年、明治大学付属中野高等学校を中退し、藤島部屋(のちの二子山部屋)に実弟の光司氏と入門。88年、初土俵。以降、「第66代横綱」に昇進するなど、13年間にわたって技能派の力士として相撲人気を牽引する。2000年に現役を引退、01年に日本相撲協会を退職し、芸名を「虎上」に改名。その後スポーツキャスターとして活動し、02年には「Chanko Dining 若」などを出店、飲食業界にも乗り出す。08年に一般女性と再婚、現在は6児の父として、タレント・相撲解説者として活躍中。