新型コロナウイルスに感染していた俳優の石田純一が、退院したのは5月12日。翌13日に直筆の「退院のお知らせ」を公式ブログにて公表した。ところがこのお知らせがまたもや物議を醸しているというのである。
その直筆文では冒頭、「この度 私 石田純一が新型コロナウイルスによる肺炎に罹患したことで多くの方々にご迷惑をおかけし、不快な思いにさせてしまったことを深くお詫び致します。大変申し訳ありませんでした」と綴っており、多方面に迷惑を掛けたことへの謝罪文となっている。
そして後半では「パンデミックに対して不退転の勇気で立ち向かわれた方々」に向けた感謝の念も表しているのだが、文章全体に漂う他人事感や妙な連帯感に対して、不愉快さを感じる人たちが少なくないようだ。
「石田は東京都が外出自粛を要請するなか4月5日に茨城県でゴルフに興じ、緊急事態宣言が発令された後に沖縄入り。同11日に現地でまたゴルフをして体調を崩し、那覇市内のホテルで静養したのち、帰京後の15日に陽性と診断されました。このような身勝手な振る舞いのあげく、静養先のホテルは2週間の休業を余儀なくされるなど実害も与えたのです。それにもかかわらず今回の謝罪文では“我が家”や“我々”“社会”といった単語を用いており、石田自身が深く反省すべきところをなぜかコロナ禍に対する連帯を打ち出しているのですから、世間から《いったいどの口が言ってるんだ!?》と呆れられるのも当然でしょう」(芸能ライター)
石田は病院から帰宅する「私のこの第一歩」を大切な一歩と表現。そこからなぜか「こうした無数の一歩がとてつもなく大きくなり」と周りを巻き込む話へと拡大し、「近い将来このコロナ禍を鎮静させ克服することにつながっていくことを願わずにはいられません」と他人事のように評しているのである。
次の段落では「新感染症とのたたかいは、今回限りではないでしょう」とまるで評論家のような口ぶり。そして医療関係者の献身と成果を「すでに快挙です」となぜか上から目線で賞賛し、しまいには「我々の記憶に永くとどめおきたいと思います」と、主語を“我々”にすり替えてしまっているのである。
そして最後の段落では「みんなで心を寄せ合い 協力し合って何とか乗り越えたい、と決意を新たにしています」と、何かの団体を率いる指導者かのような言葉まで繰り出す始末。いったいぜんたい、この“当事者感の欠如”はどうしたことなのだろうか?
「この謝罪文だけを読むと、まるで石田がどこからか降って湧いてきたコロナウイルスに感染したかのよう。しかし実際には不要不急のゴルフで自ら濃厚接触の状態を作り出し、さらには不要不急の沖縄旅行で現地に迷惑をかけまくったのですから、今は謝罪に謝罪を重ねてもまだ足りないかもしれません。それを『みんなで乗り越えましょう』と言わんばかりの口調で語られてしまっては、怒りの声が殺到するのも当然でしょうね。業界内からは《周りに誰か文章を添削する人いないの?》《いまだに自分のリスク管理ができてないんだな》といった呆れ声も続出。とくにネット上では沖縄県民と思われる人々のバッシングはいまだおさまらず、《退院よかったね。でも沖縄にウイルスを持ち込んだ罪は重い》《素足に靴でウイルスをばらまいたと思うと怒りで眠れない》《二度と裸足で沖縄に来ないでほしい》と石田の“靴下をはかない習慣”にまで批判がおよぶ始末。この調子ではほとんどの芸能仕事から干されても、文句は言えないでしょう」(前出・芸能ライター)
沖縄県民からは、自分たちが外出を自粛するなか、石田が外部からコロナウイルスを持ち込んできたと怨嗟の声が続出している。そういった怒りに対して何ら答えていない「退院のお知らせ」に、何の意味があるのだろうか。近い将来、謝罪で沖縄を訪れるとしたら、きちんと靴下ははいたほうが無難かもしれない。
(北野大知)