「リバプール移籍」の南野拓実は活躍できる?プレミアリーグで苦しんだ日本人(2)

 山梨県甲府市に生まれ、全国高等学校サッカー選手権大会でも異彩を放った中田英寿が、ベルマーレ平塚を飛び出し、“世界の中田“へと昇華するまでにそう多くの時間を要することはなかった。1998年に21歳でイタリアのペルージャへ加入し、開幕戦から2ゴールを奪う圧巻の活躍を披露。MFながらシーズン10得点を挙げ、2000年には強豪ローマへとステップアップする。当時のイタリアサッカー界で最も厳格だったファビオ・カペッロ監督からの寵愛を受け、イタリアのレジェンドであるフランチェスコ・トッティとトップ下のポジションを巡って凌ぎを削り合った事実は、日本サッカー界が一歩先へ進んだことを示すに十分な功績だった。

「ローマではリーグ優勝のかかったユヴェントスとの大一番で豪快なミドルシュートを決め、日本人初となるセリエA優勝を自身の手でたぐり寄せた中田。その後もパルマやフィオレンティーナでピッチ上のリーダーとしてチームを牽引しましたが、彼がキャリア最後の所属クラブとして選んだのがプレミアリーグのボルトンでした。当時の指揮官サム・アラダイスからの熱望を受けての契約だったのですが、イタリアとは全く異なるサッカー観やプレースタイルに苦しみ、強豪とはいえないこの中堅クラブにおいて、中田はその能力を十分に発揮することはできませんでした。結局、ボルトンには1年間のみの在籍となり、シーズン後のドイツW杯を終えて現役を引退。29歳での早すぎる決断にも、ボルトンでのパフォーマンスが影響しているのかもしれません」(スポーツライター)

 サッカーの母国の壁——。ここに風穴を空けてくれそうな希望の光となったのが、2012年当時イングランド最強のクラブだったマンチェスター・ユナイテッドと契約した香川真司だ。

 2010年、わずか4000万円の“育成補償費“が支払われる形でセレッソ大阪からドイツのドルトムントへと引き抜かれた香川は、ズバ抜けたリターンをチームにもたらしている。国内リーグの第3節から早くも初ゴールを奪うと、ドルトムントサポーターが最も熱狂するシャルケとの“ルール・ダービー“において値千金の2ゴールを挙げ、すぐさまヒーローへと昇進。加入初年度のシーズンながら、ドイツの最大手スポーツ紙「Kicker」からは年間ベストイレブンに選出されている。

 翌シーズンも素晴らしいパフォーマンスを披露し、ドムトルントに在籍した2シーズンで49試合の出場と21ゴールという非の打ちどころがない戦績を残した香川は、2012年夏、20億円を超える移籍金でマンチェスター・ユナイテッドへと乗り込んだ。

 4000万円の育成補償費でチームに香川を加えたドルトムントからすれば、わずか2年で20億円にまで市場価値を高騰させたことになるが、マンチェスターの地へ降り立った香川のキャリアはここから急降下を辿ることになる。

「加入1年目には欧州チャンピオンズリーグ決勝トーナメントの大一番、レアル・マドリードとの試合でも先発起用されるほどの信頼を獲得し、リーグ戦ではハットトリックを達成するパフォーマンスを披露しましたが、香川の能力をかっていた当時の指揮官アレックス・ファーガソン氏がシーズン終了後に退任を決意。これが契機となり、香川のチーム内での立場はガラリと変わってしまいました。もちろん香川自身が限られたチャンスの中で結果を残せなかったことや、チームにワールドクラスのプレーヤーが多く在籍していた事情もありますが、一時は守備的MFのポジションで起用を試されるなど、完全に不遇の時間を過ごしたと言えますね」(スポーツライター)
 
 W杯で世界を相手に活躍した稲本や中田、そしてドイツにおける最高評価を得ていた香川ですら、涙を飲んだプレミアリーグの舞台。南野が契約したリバプールでは、そんな彼らが在籍したどのクラブよりもハイレベルな争いが展開されており、指揮官の要求も突出して高い。

 “南野ならやれる“。そんなサポーターの願いを一体どこまで叶えてくれるだろうか?

(木村慎吾)

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