森保監督が現役時代、初めて日本代表に選ばれたのは1992年にオフト日本代表が誕生したときだった。
日本代表初日、ホテルからトレーニング場に移動するバスに乗り込んだ森保は、どこに座っていいかわからず、空いていた席を見つけ「ここ、いいですか?」と聞いて井原正巳(現・柏レイソルヘッドコーチ)の横に座らせてもらった。
移動のバスの中で井原に、
「君、ポジションはどこ?」
と聞かれ、
「ディフェンシブ・ハーフです」
と答えた。
当時の日本リーグはホームアンドアウエーではなく、1回戦総当たりでテレビ放送もなかった。情報が少ないとはいえ、日本代表に選ばれたのに、ポジションさえ誰にも知られていなかった。そんな無名な選手が30年後、日本代表の監督として世界を驚かせると、誰が予想しただろうか。
グループリーグで強豪ドイツ、スペインを倒し旋風を巻き起こした日本は、初のベスト8進出をかけて前回準優勝のクロアチアと対戦した。しかし、ここまで選手交代がズバズバと決まっていた森保監督の采配が後手に回ってしまった。
前半終了間際の43分、前田のゴールで日本が先制する。ところがグループリーグ3試合ではハーフタイムで必ず選手交代を行なっていたのが、この試合はなかった。
勝っているときは、メンバーを代えないというのが鉄則といわれるが、後半10分に同点にされても、浅野拓磨、切り札の三笘薫を投入したのはその10分後。その後も鎌田大地に代えて酒井宏樹、堂安律に代えて南野拓実を投入するが、ハッキリとした意図が見えてこなかった。
グループリーグでの3試合は、すべて先制されたため負けられない、勝たなければいけないということから思い切った采配ができた。でも、負けたら終わりの決勝トーナメント、しかも日本は初めて先制した。それが森保監督の采配を鈍らせたのだろう。
先に点を取られれば、後半の頭から三笘を投入していたはず。先制したことで慎重になりすぎた。同点にされても采配が遅れたのは、延長戦が頭の中にあったからで、延長戦になってもPK戦がちらついていたのだろう。だからグループリーグのような思い切った采配ができなかった。
だが、歴史を作るのであれば、試合のどこかで「守って、PK戦に持ち込め」「点を取って勝ちに行け」といったようなハッキリした采配が必要だったのではないか。
ドイツ、スペインといった強豪を倒したことは評価したい。しかし結果は、これで決勝トーナメント4連敗。今回も、ベスト8の壁は乗り越えられなかった。
その事実をしっかりと受け止めないといけない。
(渡辺達也)
1957年生まれ。カテゴリーを問わず幅広く取材を行い、過去6回のワールドカップを取材。そのほか、ワールドカップアジア予選、アジアカップなど数多くの大会を取材してきた。