古来、外交と食は切り離せない関係にある。遠来の客と会談するだけでなく、酒食を共にしながら打ち解けた雰囲気で意見交換し、信頼関係を醸成していくことは人の世の習わしでもある。国際社会での日本の地位を引き上げた安倍政権時代の外交努力。その中で一頭地を抜いていたのは、首相官邸での首脳会談にとどまらずに、大国小国の如何を問わず昼食や夕食を提供してきめ細かいおもてなしに努めていた姿である。
在外の大使も同じことだ。任国の主要政治家、高官、財界人、オピニオン・リーダーなどを大使公邸に招き、壁耳・障子目がない世界でじっくり懇談する。外のレストランに招くのとは次元が異なる接待となるのだ。
しかも、今や空前の和食ブームだ。駐豪大使時代の経験でも、公邸に招いて和食をふるまった際の効果は実に絶大なものがあった。幸いにして、日本の在外公館には、大使・総領事公邸の料理人を経費の一定割合を公費で負担して派遣する料理人制度がある。他国の外交官から見て羨望の的の優れた制度だ。
幸運にも、私の場合は渋谷のセルリアンタワー東急ホテルから新進気鋭の小形禎之料理人を派遣してもらうことができた。元々はフレンチ専門だが、そこは名だたる大手ホテル出身。豪州赴任までに親元で天ぷらを揚げ、すしを握る特訓を受けて着任。キャンベラの小さな町で瞬く間に評判が広がり、歴代首相、現役閣僚らがこぞって日本大使公邸に来てくれるようになった。6人ほどしか座れない公邸内の天ぷらカウンターも存分に活用した。
笑ってしまったのは、オーストラリア政府の閣議の際の雑談で、同僚閣僚から「今度の日本大使の料理人の食事を食べたか?凄いぞ」と聞かされた女性閣僚が私の秘書に電話してきて、「是非呼んでくれ」と頼みこんできたこと。もちろん、即断でOK。実に和やかな懇談ができた。
このように大使公邸での設宴の甚大な効果を自ら痛感しただけに、心配なことが二つある。
一つは、せっかくプロの料理人を帯同しながら、実のある成果を上げるような頻度で公邸設宴を行っているのかという問題だ。一応、外務省では週に2回、月に8回というスタンダードを設定しているが、私から言わせれば、それでは少ない。週にランチ2回、ディナー2回はやるべきだし、やれるはずだ。だが、このような低いスタンダードでさえ守れない大使や総領事がいる。公費による助成を得て料理人を連れて行っておきながら、もったいない話だ。
もう一つは、料理人の士気の維持だ。料理人は、「大使公邸料理人」であって、「大使の料理人」ではない。にもかかわらず、公務としての会食だけでなく、私的な食事を作らされる例が絶えない。私はプロの料理人の負担と矜持にも配慮し、決してプライベートの食事を作ってもらうことはしなかった。だが、会食よりも私的食事の準備が主となっている料理人が散見される。「内向きな外務省」を象徴する話ではないだろうか?
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。