平成スターを総直撃(4)ちはる、ウンナン番組の「妖怪ミモー」誕生秘話を告白「女優から芸人枠になり…」

 平成2年(90年)にスタートした「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」(フジ系)をきっかけに大ブレイクしたのが、ちはる(53)だ。「妖怪ミモー」はいかにして誕生したのか。

--10代から女優活動を続けて、86年の学園ドラマ「セーラー服通り」(TBS系)でドラマデビュー。なんと蓮舫参議院議員(55)と共演していたとか。

ちはる 私も蓮舫さんもエキストラに近い役で、セリフもそんなにもらえなかったけど、蓮舫さんはあの頃から頼りになる存在でした。何か揉め事が起きるたびに「私が学級委員長よ」みたいなノリで(笑)。そうそう、支給された制服がとてもかわいかったなぁ。当時は私も高校生。週3か週4のペースで、横浜の学校にロケでお邪魔したので、ふたつの高校に通っているみたいな感じでした。

ーー88年にドラマ化された「花のあすか組!」(フジ系)ではツッパリ女子高生役に挑戦。3人組ユニット「あすか組」でレコードデビューも果たしました。

ちはる ドラマの主題歌を歌わせてもらったので、映画化の話を聞いた時は「もしかしたら」と期待したんですけど、主演はつみきみほちゃん(52)。その時はホント悔しかった。それから20年以上経って、彼女と「佐藤家の朝食、鈴木家の夕食」(13年・BSジャパン)というドラマで共演する機会があって、「あすか組」の話題でめちゃくちゃ盛り上がったんですよ。

--「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」では女優からバラエティーに開眼。いったい何が?

ちはる 「誰かがやらねば」では、みんな女優扱いしてくれたんですよ。でも〝大人の事情〟で放送が木曜から土曜になって、タイトルも「やるならやらねば!」に変わる時に言われたんですよ。「次は顔をオレンジに塗ってもらうからな」って。

ーー「妖怪ミモー」誕生の瞬間ですね。

ちはる 当時は「メイクで顔を隠さなくちゃいけないのかぁ」と落ち込むことも。番組には一色紗英ちゃん(46)とか、かわいい子がどんどん加入してきて、気づけば楽屋がピンクの電話さんと一緒になって、「あ、私ってコッチの枠なんだ」って(笑)。収録は徹夜も珍しくなかったけど、毎回、巨大プールとか大がかりなセットを作っていたので、スタッフさんはもっと大変だったと思いますよ。

ーー02年にオープンさせた「CHUM APARTMENT」(東京・目黒区)では今も接客を?

ちはる 今は経営からは一歩引いて気楽な立場ですけど、やっぱり「カフェのお姉さん」が性に合っているんですかね。人手が足りない時はちょくちょくお店に立っていますよ。

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