中尾彬「岩下志麻ちゃんがブームのうちに『極妻』を降りたのは…」/ガタガタ言わせろ(1)

 今日は昭和・平成の懐かしい名優たちの話でもしようか。1986年に始まり、1990年代後半にかけて大ヒット作となったのが「極道の妻たち」シリーズだったよね。主演の岩下志麻ちゃんの着物姿がまた粋で格好よかったねぇ。私も何本か出演しているんだけど、まだまだ「極妻」ブームの火が冷めやらぬという時に志麻ちゃん、映画を降りちゃったんだ。

 何でも新幹線に乗っている時にホンモノの方々に声をかけられるのが嫌だったんだって。ホントはもう少し映画も続く予定だったらしいんだけどさ、なにせ逃げ場のない新幹線内で「姐さんっ!」って声をかけられるんで困っちゃったらしい。向こうはファンとして応援してくれているつもりなんだろうけれど、堅気の方じゃありませんしね(苦笑)。うれしいような、ありがた迷惑みたいな、複雑な心境だよね(笑)。

 思い出深い話でいえば、(池波)志乃が勝(新太郎)さんのお父さん・(杵屋)勝東治さんに三味線を習っていたの。それで国立劇場で「勝東治さんを囲む会」っていうのがあって、浅草にあるお父さんの自宅まで稽古に行くんだけど、それは凄まじかったね。歌は若山(富三郎)さんで三味線が勝さんなんだけど、あのコワモテの2人が師匠である父親の前に正座をして、「よろしくお願いいたします」と始まるわけ。ポンと三味の音が響いて始まると、若山さんが歌うところで勝さんの三味線がちょっと違うと、「そこ、違うだろう!」と怒号が飛ぶ。「お兄ちゃん、すみません」と再び勝さんが三味線を弾くんだけど、何回やってもうまくいかない。さすがに4回目ぐらいになると、お父さんが三味線のバチを勝さんにぶつけてたからね。

 やっぱり芸事だから、そこは親子兄弟であっても厳しい世界ですよ。でも面白いのね、勝さん。稽古が終わった途端に飄々として「お父ちゃん、麻雀やろう」なんて言ってジャラジャラやり始めるんだ。

 そうそう、「座頭市」なんかでご一緒するでしょ。そうすると、「台詞を覚えるな」「俺が口で言ったやつを全部やれ」って言われるんだから、もうわけがわからない。こっちは、必死でアドリブ交じりの台詞で返すんだけど、結局、勝さんはそういうのを全部見てるんだよね。俺がこう言ったら、どう返してくるのか、と。そうやって芝居の質を見抜くわけだね。やっぱり天才的な人でしたよね。

 松方弘樹君なんかもね、撮影が終わると京都のクラブに何十人も連れて行ってくれたりしましたね。当時はまだ下積みの川谷拓三や、室田日出男とか、小林稔侍などもいましたね。歌が好きだったから飲めや歌えやっていう感じでした。で、そういうことに参加しなかったのは、北大路欣也君だけですよ。

中尾彬(なかお・あきら)俳優 1942年8月11日生まれ、千葉県出身。映画「極道の妻」、「ゴジラ」シリーズ、北野武監督の「アウトレイジ ビヨンド」や、バラエティー番組のコメンテーターなど幅広く活躍。

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