中尾彬「今の若手俳優はリサーチして芝居をしていない」/ガタガタ言わせろ!

 唐突なボヤキかもしれないけど、今週は、まず「目黒のさんま」について話をしたい。

 当時の徳川家の殿様が、目黒で偶然食べた、炭火で焼いたさんまの庶民の味に感動したものの、その後、屋敷で食べたさんまは味気なく、「さんまは目黒に限る」と得意げに話したという、おなじみの落語のネタ。

 なぜ、海から遠い目黒で、殿様がさんまを食べられたのかというと、その裏事情は江戸時代、このあたりが竹やぶだったからなんだ。その竹やぶをいかして作られていたのが、背負えるほど大きな竹かごで、目黒の行商は、そこに商品を入れて品川あたりに売りに行っては、帰りに手に入れた魚を、腐らないよう塩漬けにして持って帰ってきたってわけ。だから、殿様は海に近くない目黒でも、さんまを食べられたという話もある。

 さて、私がなぜこのような歴史の話をしたかというと、「この言葉の意味や背景は何だろう」と思ったら、自分なりに調べないと言葉に説得力が出ないってこと。「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」(テレビ朝日系)に出演する前も、徹底的に調べたし、1話のみ出演するドラマだって、役の職業など、納得のいくまでリサーチしました。

 誰とは名指ししないけれど、今の若手俳優はリサーチして芝居をしていないのがわかる。だから、同じ表情かつ同じトーンでしかセリフが言えない。忙しいのは重々承知だけれど、私から見ると努力不足としか、見えないね。

 ついでにガタガタ言わせてもらうと、子供に自分の夢を託して、子役で芸能界デビューさせるとか、私は絶対に反対したい。今まで何百人もの子役と共演してきたけれど、大人になっても活躍できているのは100人中、多くて2人、3人かな。

 彼らの周囲には、大人しかいないわけ。そして子供の感性は敏感だから、誰が仕事をくれる人で、誰が大物俳優かを言葉にせずとも見抜いている。全員がそうなるとは断言しないけれど、自分の子供にはそんなふうに育ってほしくないでしょ? 「ウチの子はこのあたりで一番歌がうまい(あるいは笑いのセンスがある)」なんて考えている親は特に、考え直してほしい。芸能界はそんなに甘い世界じゃないんだから。

 私がデビューしたのは、1962年(昭和37年)。日活ニューフェイスの第5期に合格したのが始まり。日本にテレビが普及し始めた1959年(昭和34年)より前だから、映像を楽しみたい層はみんな、映画館へ足を運んでいた時代だった。動員数もとても多かったよ。

 だけど、30代で壁にぶち当たった。金ボタンをつけた学生役を演じるには年をとりすぎているし、父親役を演じるには若すぎる。

 どんな役者人生を送るか迷っていた時に門を叩いたのが、劇団の「民藝」。芝居より発声を鍛えたし、20代から30代は、訓練一筋でした。

 そんな訓練漬けで一番苦しかった時期に流行り始めたのが、「火曜サスペンス劇場」(日本テレビ系)などの、1話完結ドラマ。初現場は作品名も役名も覚えていないけれど、共演者は萬田久子さんだった。

 あの現場ではかなり鍛えられたね。頻繁にオファーをいただいていたから、刑事を演じる日もあれば、弁護士を演じたり、はたまた犯人を演じる日もあった。スケジュールはタイトだったけど、すべて自分で下調べをしてから役に入っていった。

 40代はハードなスケジュールだったからこそ、この記事を読んでいる皆さんにお伝えしたい。「今している努力のほとんどは無駄にならない」ってね。なぜかというと、当時若手だった頃の自分の努力が、80歳になった今でもしっかり自分を支えているからね。

 もうひとつお伝えしておきたいのが、退職前に、「セカンドキャリアにも繋がる、金になる〝趣味〟を何かしら見つけておいたほうがいい」ってこと。キャリアの棚卸しをすれば、きっと見つかるはず。

 厳しい言い方かもしれないけれど、会社と自宅と、たまに酒席に参加という生活では、いざ退職になった時に新しい趣味が見つかっているとは考えにくい。

 私は1961年(昭和36年)、武蔵美(武蔵野美術大学の油絵学科)に入学したんだけれど、当時の就職先はよくて教員。デザインを考える人も、当時は〝図案家〟と言われて給料も低く、立場も普通の職業より下に見られていた。自分が30代になってから、やっと「デザイナー」という言葉が生まれたくらいなんだよね。

 私自身は、新人時代の売れていない頃、「どんな作品に出ているの?」なんて質問されて、しどろもどろになった経験があったけど、「役者になれてよかった」と思っている。ただ、絵を描くことだけは続けていて、個展を開催した。

 そこで、「この絵にどれほどの時間を要したのですか?」と、ある人に聞かれたんです。本物のガーベラの花に色を塗っただけの絵だったから、「制作時間は15分ですが、構想は50年かかりました」と答えたら、相手は驚愕していたよね。

 私は、趣味の絵がお金になるまで膨大な時間がかかったからこそ伝えたい。今の、50代や60代は、まだまだチャレンジ精神も旺盛だし、その年代は昔に比べればより若い。社員の定年が65歳まで伸びている企業も増えているんだから、まだ時間があるうちに、セカンドキャリアに繋がる趣味を見つけておこう!

中尾彬(なかお・あきら)俳優1942年8月11日生まれ、千葉県出身。映画「極道の妻」、「ゴジラ」シリーズ、北野武監督の「アウトレイジビヨンド」や、バラエティー番組のコメンテーターなど幅広く活躍。

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